博雅の三位と鬼の笛・十訓抄

博雅の三位、月の明かかりける夜、直衣にて、朱雀門の前に遊びて、
博雅三位が、月が明かるかった夜、直衣姿で、朱雀門の前を歩き回り、
・博雅の三位 … 名詞
・月 … 名詞
・の … 格助詞
・明かかり … ク活用の形容詞「明かし」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・夜 … 名詞
・直衣 … 名詞
・にて … 格助詞
・朱雀門 … 名詞
・の … 格助詞
・前 … 名詞
・に … 格助詞
・遊び … バ行四段活用の動詞「遊ぶ」の連用形
遊ぶ … 気ままに歩き回る
・て … 接続助詞

夜もすがら笛を吹かれたるに、同じさまに直衣着たる男の、
一晩中笛を吹かれていたところ、同じ様子で直衣を着ている男が、
・夜もすがら … 副詞
○夜もすがら … 一晩中
・笛 … 名詞
・を … 格助詞
・吹か … カ行四段活用の動詞「吹く」の未然形
・れ … 尊敬の助動詞「る」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・に … 接続助詞
・同じ … シク活用の形容詞「同じ」の連体形
・さま … 名詞
・に … 格助詞
・直衣 … 名詞
・着 … カ行上一段活用の動詞「着る」の連用形
・たる … 存続の助動詞「たり」の連体形
・男 … 名詞
・の … 格助詞

笛吹きければ、誰ならむと思ふほどに、
笛を吹いていたので、誰だろうと思っていると、
・笛 … 名詞
・吹き … カ行四段活用の動詞「吹く」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞
・誰 … 代名詞
・なら … 断定の助動詞「なり」の未然形
・む … 推量の助動詞「む」の終止形
・と … 格助詞
・思ふ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連体形
・ほどに … 接続助詞

その笛の音、この世にたぐひなくめでたく聞こえければ、
その笛の音色が、この世に並ぶものがないほど素晴らしく聞こえたので、
・そ … 代名詞
・の … 格助詞
・笛 … 名詞
・の … 格助詞
・音 … 名詞
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・世 … 名詞
・に … 格助詞
・たぐひなく … ク活用の形容詞「たぐひなし」の連用形
○たぐひなし … 並ぶものがない
・めでたく … ク活用の形容詞「めでたし」の連用形
めでたし … すばらしい
・聞こえ … ヤ行下二段活用の動詞「聞こゆ」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞

あやしくて、近寄りて見ければ、いまだ見ぬ人なりけり。
不思議に思って、近寄って見ると、今まで見たことのない人だった。
・あやしく … シク活用の形容詞「あやし」の連用形
あやし … 不思議だ
・て … 接続助詞
・近寄り … ラ行四段活用の動詞「近寄る」の連用形
・て … 接続助詞
・見 … マ行上一段活用の動詞「見る」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞
・いまだ … 副詞
・見 … マ行上一段活用の動詞「見る」の未然形
・ぬ … 打消の助動詞「ず」の連体形
・人 … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

我もものをも言はず、かれも言ふことなし。
自分も何も言わず、その人も何も言わない。
・我 … 代名詞
・も … 係助詞
・もの … 名詞
・を … 格助詞
・も … 係助詞
・言は … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の未然形
・ず … 打消の助動詞「ず」の連用形
・かれ … 代名詞
・も … 係助詞
・言ふ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連体形
・こと … 名詞
・なし … ク活用の形容詞「なし」の終止形

かくのごとく、月の夜ごとに行きあひて、吹くこと、夜ごろになりぬ。
このように、月夜のたびに出会って、笛を吹くことが幾夜にもなった。
・かく … 副詞
・の … 格助詞
・ごとく … 比況の助動詞「ごとし」の連用形
・月の夜ごと … 名詞
○月の夜 … 月の明るい夜
○ごと(接尾語) … その一つ一つすべて
・に … 格助詞
・行きあひ … ハ行四段活用の動詞「行きあふ」の連用形
○行きあふ … 出会う
・て … 接続助詞
・吹く … カ行四段活用の動詞「吹く」の連体形
・こと … 名詞
・夜ごろ … 名詞
○夜ごろ … 数夜
・に … 格助詞
・なり … ラ行四段活用の動詞「なる」の連用形
・ぬ … 完了の助動詞「ぬ」の終止形

かの人の笛の音、ことにめでたかりければ、
その人の笛の音が、格別にすばらしかったので、
・か … 代名詞
・の … 格助詞
・人 … 名詞
・の … 格助詞
・笛 … 名詞
・の … 格助詞
・音 … 名詞
・ことに … 副詞
○ことに … 格別に
・めでたかり … ク活用の形容詞「めでたし」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞

試みに、かれを取り替へて吹きければ、世になきほどの笛なり。
ためしに、それを取り替えて吹いたところ、世にないほどの笛だった。
・試み … 名詞
・に … 格助詞
・かれ … 代名詞
・を … 格助詞
・取り替へ … ハ行下二段活用の動詞「取り替ふ」の連用形
・て … 接続助詞
・吹き … カ行四段活用の動詞「吹く」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞
・世 … 名詞
・に … 格助詞
・なき … ク活用の形容詞「なし」の連体形
○世になし … 世の中にない
・ほど … 名詞
・の … 格助詞
・笛 … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の終止形

そののち、なほなほ月ごろになれば、行きあひて吹きけれど、
その後、さらになお数か月経っても、出会って吹いていたが、
・そ … 代名詞
・の … 格助詞
・のち … 名詞
・なほなほ … 副詞
○なほなほ … 「なほ」を強調した形
・月ごろ … 名詞
○月ごろ … 数か月間
・に … 格助詞
・なれ … ラ行四段活用の動詞「なる」の已然形
・ば … 接続助詞
・行きあひ … ハ行四段活用の動詞「行きあふ」の連用形
・て … 接続助詞
・吹き … カ行四段活用の動詞「吹く」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ど … 接続助詞

「もとの笛を返し取らむ。」とも言はざりければ、
「もとの笛を返してくれ。」とも言わなかったので、
・もと … 名詞
・の … 格助詞
・笛 … 名詞
・を … 格助詞
・返し取ら … ラ行四段活用の動詞「返し取る」の未然形
・む … 意志の助動詞「む」の終止形
・と … 格助詞
・も … 係助詞
・言は … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の未然形
・ざり … 打消の助動詞「ず」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞

長く替へてやみにけり。三位失せてのち、
長く取り替えたまま終わってしまった。三位が亡くなってから、
・長く … ク活用の形容詞「長し」の連用形
・替へ … ハ行下二段活用の動詞「替ふ」の連用形
・て … 接続助詞
・やみ … マ行四段活用の動詞「やむ」の連用形
○やむ … 中途で終わる
・に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
・三位 … 名詞
・失せ … サ行下二段活用の動詞「失す」の連用形
・て … 接続助詞
・のち … 名詞

帝、この笛を召して、時の笛吹きどもに
帝は、この笛を取り寄せなさって、その当時の笛吹きたちに
・帝 … 名詞
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・笛 … 名詞
・を … 格助詞
・召し … サ行四段活用の動詞「召す」の連用形
召す … お取り寄せになる(尊敬語) ⇒ 作者から帝への敬意
・て … 接続助詞
・時 … 名詞
 … その当時
・の … 格助詞
・笛吹きども … 名詞
・に … 格助詞

吹かせらるれど、その音を吹きあらはす人なかりけり。
お吹かせになったが、その音色を吹いて表わす人はいなかった。
・吹か … カ行四段活用の動詞「吹く」の未然形
・せ … 使役の助動詞「す」の未然形
・らるれ … 尊敬の助動詞「らる」の已然形 ⇒ 作者から帝への敬意
・ど … 接続助詞
・そ … 代名詞
・の … 格助詞
・音 … 名詞
・を … 格助詞
・吹きあらはす … サ行四段活用の動詞「吹きあらはす」の連体形
・人 … 名詞
・なかり … ク活用の形容詞「なし」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

そののち、浄蔵といふめでたき笛吹きありけり。
その後、浄蔵という、すばらしい笛吹きがいた。
・そ … 代名詞
・の … 格助詞
・のち … 名詞
・浄蔵 … 名詞
・と … 格助詞
・いふ … ハ行四段活用の動詞「いふ」の連体形
・めでたき … ク活用の形容詞「めでたし」の連体形
・笛吹き … 名詞
・あり … ラ行変格活用の動詞「あり」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

召して吹かせ給ふに、
呼び寄せなさってお吹かせになったところ、
・召し … サ行四段活用の動詞「召す」の連用形
召す … お呼び寄せになる(尊敬語) ⇒ 作者から帝への敬意
・て … 接続助詞
・吹か … カ行四段活用の動詞「吹く」の未然形
・せ … 使役の助動詞「す」の連用形
・給ふ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連体形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 作者から帝への敬意
・に … 接続助詞

かの三位に劣らざりければ、帝、御感ありて、
あの三位にも劣らなかったので、帝は、感心なさって、
・か … 代名詞
・の … 格助詞
・三位 … 名詞
・に … 格助詞
・劣ら … ラ行四段活用の動詞「劣る」の未然形
・ざり … 打消の助動詞「ず」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞
・帝 … 名詞
・御感 … 名詞
○御感 … 天皇が感心なさること
・あり … ラ行変格活用の動詞「あり」の連用形
・て … 接続助詞

「この笛の主、朱雀門の辺りにて得たりけるとこそ聞け。
「この笛の持ち主は、朱雀門の辺りで手に入れたと聞いている。
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・笛 … 名詞
・の … 格助詞
・主 … 名詞
・朱雀門 … 名詞
・の … 格助詞
・辺り … 名詞
・にて … 格助詞
・得(え) … ア行下二段活用の動詞「得(う)」の連用形
○得 … 手に入れる
・たり … 完了の助動詞「たり」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・と … 格助詞
・こそ … 係助詞・強調
・聞け … カ行四段活用の動詞「聞く」の已然形(結び)

浄蔵、この所に行きて、吹け。」と仰せられければ、
浄蔵よ、その場所に行って、吹け。」とおっしゃられたので、
・浄蔵 … 名詞
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・所 … 名詞
・に … 格助詞
・行き … カ行四段活用の動詞「行く」の連用形
・て … 接続助詞
・吹け … カ行四段活用の動詞「吹く」の命令形
・と … 格助詞
・仰せ … サ行下二段活用の動詞「仰す」の未然形
仰す … 「言ふ」の尊敬語 ⇒ 作者から帝への敬意
・られ … 尊敬の助動詞「らる」の連用形 ⇒ 作者から帝への敬意
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞

月の夜、仰せのごとく、かれに行きて、この笛を吹きけるに、
月の夜、お言いつけどおりに、そこに行って、この笛を吹いたところ、
・月 … 名詞
・の … 格助詞
・夜 … 名詞
・仰せ … 名詞
○仰せ … お言いつけ
・の … 格助詞
・ごとく … 比況の助動詞「ごとし」の連用形
・かれ … 代名詞
・に … 格助詞
・行き … カ行四段活用の動詞「行く」の連用形
・て … 接続助詞
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・笛 … 名詞
・を … 格助詞
・吹き … カ行四段活用の動詞「吹く」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・に … 接続助詞

かの門の楼上に、高く大きなる音にて、
その門の高い建物の上で、高く大きな声で、
・か … 代名詞
・の … 格助詞
・門 … 名詞
・の … 格助詞
・楼上 … 名詞
○楼 … 高く造った建物
・に … 格助詞
・高く … ク活用の形容詞「高し」の連用形
・大きなる … ナリ活用の形容動詞「大きなり」の連体形
・音 … 名詞
・にて … 格助詞

「なほ逸物かな。」と褒めけるを、
「やはり群を抜いた優れものだなあ。」と褒めたのを、
・なほ … 副詞
なほ … やはり
・逸物 … 名詞
○逸物 … 群を抜いた優れもの
・かな … 終助詞・詠嘆
・と … 格助詞
・褒め … マ行下二段活用の動詞「褒む」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・を … 格助詞

かくと奏しければ、初めて鬼の笛と知ろしめしけり。
このようでしたと奏上したので、はじめて鬼の笛とお知りになった。
・かく … 副詞
かく … このように
・と … 格助詞
・奏し … サ行四段活用の動詞「奏す」の連用形
奏す … (天皇に)申し上げる(謙譲語) ⇒ 作者から帝への敬意
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞
・初めて … 副詞
・鬼 … 名詞
・の … 格助詞
・笛 … 名詞
・と … 格助詞
・知ろしめし … サ行四段活用の動詞「知ろしめす」の連用形
知ろしめす … 「知る」の尊敬語 ⇒ 作者から帝への敬意
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

「葉二」と名づけて、天下第一の笛なり。
「葉二」と名前をつけて、世の中で最も優れた笛である。
・葉二 … 名詞
・と … 格助詞
・名づけ … カ行下二段活用の動詞「名づく」の連用形
・て … 接続助詞
・天下 … 名詞
・第一 … 名詞
・の … 格助詞
・笛 … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の終止形

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