三文にて歯二つ・沙石集

南都に、歯取る唐人ありき。
奈良に、歯を抜く唐人がいた。
・南都(なんと) … 名詞
○南都 … 奈良
・に … 格助詞
・歯 … 名詞
・取る … ラ行四段活用の動詞「取る」の連体形
・唐人(とうじん) … 名詞
・あり … ラ行変格活用の動詞「あり」の連用形
・き … 過去の助動詞「き」の終止形

ある在家人の慳貪にして、利養を先とし、
ある在家の者で、けちであり、損得勘定を優先させて、
・ある … 連体詞
・在家人(ざいけにん) … 名詞
○在家人 … 出家せず仏教に帰依する人
・の … 格助詞
・慳貪(けんどん)に … ナリ活用の形容動詞「慳貪なり」の連用形
・して … 接続助詞
・利養(りよう) … 名詞
○利養 … 損得勘定
・を … 格助詞
・先 … 名詞
・と … 格助詞
・し … サ行変格活用の動詞「す」の連用形

ことに触れて商ひ心のみありて、徳もありけるが、
何かにつけて商売の心ばかりがあって、財産もある者が、
・こと … 名詞
・に … 格助詞
・触れ … ラ行下二段活用の動詞「触る」の連用形
○触る … 関係する
・て … 接続助詞
・商(あきな)ひ心(ごころ) … 名詞
・のみ … 副助詞
・あり … ラ行変格活用の動詞「あり」の連用形
・て … 接続助詞
・徳 … 名詞
○徳 … 財産
・も … 係助詞
・あり … ラ行変格活用の動詞「あり」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・が … 格助詞

虫の食ひたる歯を取らせむとて、唐人がもとに行きぬ。
虫が食っている歯を抜かせようと思って、唐人のところに行った。
・虫 … 名詞
・の … 格助詞
・食ひ … ハ行四段活用の動詞「食ふ」の連用形
・たる … 存続の助動詞「たり」の連体形
・歯 … 名詞
・を … 格助詞
・取ら … ラ行四段活用の動詞「取る」の未然形
・せ … 使役の助動詞「す」の未然形
・む … 意志の助動詞「む」の終止形
・とて … 格助詞
・唐人 … 名詞
・が … 格助詞
・もと … 名詞
・に … 格助詞
・行き … カ行四段活用の動詞「行く」の連用形
・ぬ … 完了の助動詞「ぬ」の終止形

歯一つ取るには、銭二文に定めたるを、
歯を一本を取るのには、銭二文と定めてあったが、
・歯 … 名詞
・一つ … 名詞
・取る … ラ行四段活用の動詞「取る」の連体形
・に … 格助詞
・は … 係助詞
・銭 … 名詞
・二文(にもん) … 名詞
・に … 格助詞
・定め … マ行下二段活用の動詞「定む」の連用形
・たる … 存続の助動詞「たり」の連体形
・を … 接続助詞

「一文にて取りてたべ。」と言ふ。
「一文で取ってください。」と言う。
・一文 … 名詞
・にて … 格助詞
・取り … ラ行四段活用の動詞「取る」の連用形
・て … 接続助詞
・たべ … バ行四段活用の動詞「たぶ」の命令形
たぶ … 尊敬の補助動詞 ⇒ ある在家人から唐人への敬意
・と … 格助詞
・言ふ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の終止形

少分のことなれば、ただも取るべけれども、
わずかな金のことであるから、そのまま取ってもよいのだが、
・少分 … 名詞
○少分 … 少しの量
・の … 格助詞
・こと … 名詞
・なれ … 断定の助動詞「なり」の已然形
・ば … 接続助詞
・ただ … 副詞
ただ … ただ単に
・も … 係助詞
・取る … ラ行四段活用の動詞「取る」の終止形
・べけれ … 可能の助動詞「べし」の已然形
・ども … 接続助詞

心ざまの憎さに、「ふつと一文にては取らじ。」と言ふ。
心の持ち方がいやなので、「絶対に一文では取りません。」と言う。
・心ざま … 名詞
○心ざま … 心の持ち方
・の … 格助詞
・憎さ … 名詞
○憎さ … いやらしさ
・に … 格助詞
・ふつと … 副詞
○ふつと(~打消) … 決して(~ない)
・一文 … 名詞
・にて … 格助詞
・は … 係助詞
・取ら … ラ行四段活用の動詞「取る」の未然形
・じ … 打消意志の助動詞「じ」の終止形
・と … 格助詞
・言ふ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の終止形

やや久しく論ずるほどに、おほかた取らざりければ、
少し長く言い争ううちに、まったく取らなかったので、
・やや … 副詞
・久しく … シク活用の形容詞「久し」の連用形
○久し … 時間が長い
・論ずる … サ行変格活用の動詞「論ず」の連体形
○論ず … 言い争う
・ほど … 名詞
・に … 格助詞
・おほかた … 副詞
おほかた(~打消) … まったく(~ない)
・取ら … ラ行四段活用の動詞「取る」の未然形
・ざり … 打消の助動詞「ず」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞

「さらば、三文にて歯二つ取りたまへ。」とて、
「それなら、三文で歯を二本取ってください。」と言って、
・さらば … 接続詞
○さらば … それならば
・三文 … 名詞
・にて … 格助詞
・歯 … 名詞
・二つ … 名詞
・取り … ラ行四段活用の動詞「取る」の連用形
・たまへ … ハ行四段活用の尊敬の補助動詞「たまふ」の命令形
たまふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ ある在家人から唐人への敬意
・とて … 格助詞

虫も食はぬに、よき歯を取り添へて、
虫が食ってもいないのに、良好な歯をつけ加えて、
・虫 … 名詞
・も … 係助詞
・食は … ハ行四段活用の動詞「食ふ」の未然形
・ぬ … 打消の助動詞「ず」の連体形
・に … 接続助詞
・よき … ク活用の形容詞「よし」の連体形
よし … 上等である
・歯 … 名詞
・を … 格助詞
・取り添へ … ハ行下二段活用の動詞「取り添ふ」の連用形
○取り … 接頭語・強意
添ふ … つけ加える
・て … 接続助詞

二つ取らせて、三文取らせつ。
二本取らせて、三文を支払った。
・二つ … 名詞
・取ら … ラ行四段活用の動詞「取る」の未然形
・せ … 使役の助動詞「す」の連用形
・て … 接続助詞
・三文 … 名詞
・取らせ … サ行下二段活用の動詞「取らす」の連用形
○取らす … 与える
・つ … 完了の助動詞「つ」の終止形

心には利分とこそ思ひけめども、疵なき歯を失ひぬる、大きなる損なり。
心では得したと思っただろうが、損傷のない歯を失った、大きな損である。
・心 … 名詞
・に … 格助詞
・は … 係助詞
・利分 … 名詞
○利分 … 利益を得ること
・と … 格助詞
・こそ … 係助詞
・思ひ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連用形
・けめ … 過去推量の助動詞「けむ」の已然形
・ども … 接続助詞
・疵(きず) … 名詞
○疵 … 体や物の損傷している部分
・なき … ク活用の形容詞「なし」の連体形
・歯 … 名詞
・を … 格助詞
・失ひ … ハ行四段活用の動詞「失ふ」の連用形
・ぬる … 完了の助動詞「ぬ」の連体形
・大きなる … ナリ活用の形動容詞「大きなり」の連体形
・損 … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の終止形

これは、申すに及ばず、大きにおろかなること、をこがましきわざなり。
これは、申すまでもなく、たいへんに愚かなこと、ばかげたことである。
・これ … 代名詞
・は … 係助詞
・申す … サ行四段活用の動詞「申す」の連体形
申す … 「言ふ」の丁寧語 ⇒ 筆者から読者への敬意
・に … 格助詞
・及ば … バ行四段活用の動詞「及ぶ」の未然形
・ず … 打消の助動詞「ず」の連用形
・大きに … ナリ活用の形動容詞「大きなり」の連用形
・おろかなる … ナリ活用の形動容詞「おろかなり」の連体形
・こと … 名詞
・をこがましき … シク活用の形容詞「をこがまし」の連体形
○をこがまし … ばかげている
・わざ … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の終止形

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