やさし蔵人・今物語

大納言なりける人、
大納言であった人が、
・大納言 … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・人 … 名詞

小侍従と聞こえし歌詠みに通はれけり。
小侍従という世間で評判になっていた歌人のところに通っておられた。
・小侍従(こじじゅう) … 名詞
・と … 格助詞
・聞こえ … ヤ行下二段活用の動詞「聞こゆ」の連用形
聞こゆ … 世間で評判になる
・し … 過去の助動詞「き」の連体形
・歌よみ … 名詞
・に … 格助詞
・通は … ハ行四段活用の動詞「通ふ」の未然形
・れ … 尊敬の助動詞「る」の連用形 ⇒ 作者から大納言への敬意
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

ある夜、もの言ひて、暁帰られけるに、
ある夜、情を通わせて、夜明け前にお帰りになったときに、
・ある … 連体詞
・夜 … 名詞
・もの言ひ … ハ行四段活用の動詞「もの言ふ」の連用形
○もの言ふ … 男女が情を通わせる
・て … 接続助詞
・暁 … 名詞
・帰ら … ラ行四段活用の動詞「帰る」の未然形
・れ … 尊敬の助動詞「る」の連用形 ⇒ 作者から大納言への敬意
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・に … 格助詞

女の家の門をやり出だされけるが、きと見返りたりければ、
女の家の門から牛車をお出しになったが、さっと振り返って見たところ、
・女 … 名詞
・の … 格助詞
・家 … 名詞
・の … 格助詞
・門(かど) … 名詞
・を … 格助詞
・やり出ださ … サ行四段活用の動詞「やり出だす」の未然形
○やり出だす … 進めて他の場所に出す
・れ … 尊敬の助動詞「る」の連用形 ⇒ 作者から大納言への敬意
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・が … 接続助詞
・きと … 副詞
○きと … さっと
・見返り … ラ行四段活用の動詞「見返る」の連用形
・たり … 完了の助動詞「たり」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞

この女、名残を思ふかとおぼしくて、
この女が、名残を惜しんでいるのかと思われて、
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・女 … 名詞
・名残 … 名詞
・を … 格助詞
・思ふ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連体形
・か … 係助詞
・と … 格助詞
・おぼしく … シク活用の形容詞「おぼし」の連用形
○おぼし … 思われる
・て … 接続助詞

車寄せの簾に透きて、一人残りたりけるが、心にかかりおぼえてければ、
車寄せの簾を透けて、一人残っていたのが、気がかりに思われたので、
・車寄せ … 名詞
○車寄せ … 牛車に乗り降りする所
・の … 格助詞
・簾(すだれ) … 名詞
・に … 格助詞
・透き … カ行四段活用の動詞「透く」の連用形
○透く … 透ける
・て … 接続助詞
・一人 … 名詞
・残り … ラ行四段活用の動詞「残る」の連用形
・たり … 存続の助動詞「たり」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・が … 格助詞
・心 … 名詞
・に … 格助詞
・かかり … ラ行四段活用の動詞「かかる」の連用形
・おぼえ … ヤ行下二段活用の動詞「おぼゆ」の連用形
おぼゆ … 思われる
・て … 完了の助動詞「つ」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞

供なりける蔵人に、「いまだ入りやらで見送りたるが、
お供であった蔵人に、「まだ入ってしまわないで見送っているのが、
・供 … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・蔵人(くろうど) … 名詞
・に … 格助詞
・いまだ … 副詞
・入りやら … ラ行四段活用の動詞「入りやる」の未然形
○入りやる … 入ってしまう
・で … 接続助詞
・見送り … ラ行四段活用の動詞「見送る」の連用形
・たる … 存続の助動詞「たり」の連体形
・が … 格助詞

振り捨てがたきに、何とまれ、言ひて来。」と
放っておきにくいので、何でもいいから、言ってこい。」と
・振り捨て … タ行下二段活用の動詞「振り捨つ」の連用形
○振る … 相手にしない
○捨つ … 放置する
・がたき … 接尾語「がたし」の連体形
・に … 接続助詞
○何とまれ … 「何ともあれ」の変化した形
○何とまれ … 何でもいいから
・何 … 名詞
・と … 格助詞
・も … 係助詞
・あれ … ラ行変格活用の動詞「あり」の命令形
・言ひ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連用形
・て … 接続助詞
・来 … カ行変格活用の動詞「来」の命令形
・と … 格助詞

のたまひければ、「ゆゆしき大事かな。」と思へども、
おっしゃったので、「ひどく重大な事だなあ。」と思うけれども、
・のたまひ … ハ行四段活用の動詞「のたまふ」の連用形
のたまふ … 「言ふ」の尊敬語 ⇒ 作者から大納言への敬意
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞
・ゆゆしき … シク活用の形容詞「ゆゆし」の連体形
ゆゆし … はなはだしい
・大事 … 名詞
○大事 … 重大な事柄
・かな … 終助詞
・と … 格助詞
・思へ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の已然形
・ども … 接続助詞

ほど経べきことならねば、やがて走り入りぬ。
時を経過すべきことではないので、すぐに走って入った。
・ほど … 名詞
ほど … 時間
・経(ふ) … ハ行下二段活用の動詞「経(ふ)」の終止形
 … 時を経過する
・べき … 適当の助動詞「べし」の連体形
・こと … 名詞
・なら … 断定の助動詞「なり」の未然形
・ね … 打消の助動詞「ず」の已然形
・ば … 接続助詞
・やがて … 副詞
やがて … すぐに
・走り入り … ラ行四段活用の動詞「走り入る」の連用形
・ぬ … 完了の助動詞「ぬ」の終止形

車寄せの縁のきはにかしこまりて、「申せと候ふ。」とは、
車寄せの縁のそばに慎んで座って、「申し上げよとのことです。」とは、
・車寄せ … 名詞
・の … 格助詞
・縁 … 名詞
・の … 格助詞
・きは … 名詞
きは … そば
・に … 格助詞
・かしこまり … ラ行四段活用の動詞「かしこまる」の連用形
かしこまる … つつしんで座る
・て … 接続助詞
・申せ … サ行四段活用の動詞「申す」の命令形
申す … 「言ふ」の謙譲語 ⇒ 蔵人から小侍従への敬意
・と … 格助詞
・候(そうろ)ふ … ハ行四段活用の動詞「候ふ」の終止形
候ふ … 「あり」の丁寧語 ⇒ 蔵人から小侍従への敬意
・と … 格助詞
・は … 係助詞

さうなく言ひ出でたれど、何と言ふべき言の葉もおぼえぬに、
無造作に言い出したけれど、何も言うべき言葉が思い浮かばなかったが、
・さうなく … ク活用の形容詞「さうなし」の連用形
さうなし … あれこれ考えることがない
・言ひ出で … ダ行下二段活用の動詞「言ひ出づ」の連用形
・たれ … 完了の助動詞「たり」の已然形
・ど … 接続助詞
・何 … 名詞
・と … 格助詞
・言ふ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の終止形
・べき … 適当の助動詞「べし」の連体形
・言の葉 … 名詞
・も … 係助詞
・おぼえ … ヤ行下二段活用の動詞「おぼゆ」の未然形
おぼゆ … 思い浮かぶ
・ぬ … 打消の助動詞「ず」の連体形
・に … 接続助詞

折しも、ゆふつけ鳥、声々に鳴き出でたりけるに、
ちょうどその時、にわとりが、声々に鳴き出したところ、
・折しも … 副詞
○折しも … ちょうどそのとき
・ゆふつけ鳥 … 名詞
・声々 … 名詞
・に … 格助詞
・鳴き出で … ダ行下二段活用の動詞「鳴き出づ」の連用形
・たり … 完了の助動詞「たり」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・に … 接続助詞

「飽かぬ別れの」と言ひけることの、きと思ひ出でられければ、
「飽かぬ別れの」と詠んでいたことが、さっと思い出されたので、
・飽か … カ行四段活用の動詞「飽く」の未然形
○飽く … 満足する
・ぬ … 打消の助動詞「ず」の連体形
・別れ … 名詞
・の … 格助詞
・と … 格助詞
・言ひ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・こと … 名詞
・の … 格助詞
・きと … 副詞
・思ひ出で … ダ行下二段活用の動詞「思ひ出づ」の未然形
・られ … 自発の助動詞「らる」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞

  ものかはと君が言ひけん鳥の音の
  ものの数ではないとあなたが言ったという鳥の声が
  ・もの … 名詞
  ・かは … 係助詞
  ○ものかは … 問題ではない
  ・と … 格助詞
  ・君 … 名詞
  ・が … 格助詞
  ・言ひ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連用形
  ・けん … 過去伝聞の助動詞「けん」の連体形
  ・鳥 … 名詞
  ・の … 格助詞
  ・音(ね) … 名詞
  ・の … 格助詞

今朝しもなどかかなしかるらん
今朝はどうして悲しいのでしょうか
  ・今朝 … 名詞
  ・しも … 副助詞
  ・など … 副詞
  ・か … 係助詞
  ・かなしかる … シク活用の形容詞「かなし」の連体形
  ・らん … 原因推量の助動詞「らん」の連体形

とばかり言ひかけて、やがて走りつきて、車の尻に乗りぬ。
とだけ詠みかけて、すぐに走って追いついて、牛車の後ろに乗った。
・と … 格助詞
・ばかり … 副助詞
ばかり … だけ
・言ひかけ … カ行下二段活用の動詞「言ひかく」の連用形
○言ひかく … 言葉をかける
・て … 格助詞
・やがて … 副詞
・走りつき … カ行四段活用の動詞「走りつく」の連用形
つく … 行き着く
・て … 接続助詞
・車 … 名詞
・の … 格助詞
・しり … 名詞
・に … 格助詞
・乗り … ラ行四段活用の動詞「乗る」の連用形
・ぬ … 完了の助動詞「ぬ」の終止形

家に帰りて、中門に降りてのち、
家に帰って、中門で降りた後で、
・家 … 名詞
・に … 格助詞
・帰り … ラ行四段活用の動詞「帰る」の連用形
・て … 接続助詞
・中門(ちゅうもん) … 名詞
・に … 格助詞
・降り … ラ行上二段活用の動詞「降る」の連用形
・て … 接続助詞
・のち … 名詞

「さても、何とか言ひたりつる。」と問ひ給ひければ、
「ところで、何と言ったのか。」とお尋ねになったので、
・さても … 接続詞
○さても … ところで
・何 … 名詞
・と … 格助詞
・か … 係助詞
・言ひ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連用形
・たり … 完了の助動詞「たり」の連用形
・つる … 完了の助動詞「つ」の連体形
・と … 格助詞
・問ひ … ハ行四段活用の動詞「問ふ」の連用形
・給ひ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形
○給ふ … 尊敬の補助動詞「給ふ」
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞

「かくこそ。」と申しければ、いみじくめでたがられけり。
「このように。」と申し上げたところ、たいそう感心なさった。
・かく … 副詞
・こそ … 係助詞
・と … 格助詞
・申し … サ行四段活用の動詞「申す」の連用形
申す … 「言ふ」の謙譲語 ⇒ 作者から大納言への敬意
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞
・いみじく … シク活用の形容詞「いみじ」の連用形
・めでたがら … ラ行四段活用の動詞「めでたがる」の未然形
○めでたがる … すばらしいと思う
・れ … 尊敬の助動詞「る」の連用形 ⇒ 作者から大納言への敬意
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

「さればこそ、使ひにははからひつれ。」とて、
「だからこそ、使いとして取り扱ったのだ。」と言って、
・されば … 接続詞
・こそ … 係助詞
・使ひ … 名詞
・に … 格助詞
・は … 係助詞
・はからひ … ハ行四段活用の動詞「はからふ」の連用形
○はからふ … 適宜に処置する
・つれ … 完了の助動詞「つ」の已然形
・とて … 格助詞

感のあまりに、しる所など給びたりけるとなん。
感動のあまりに、領有する土地などをお与になったということだ。
・感 … 名詞
・の … 格助詞
・あまり … 名詞
○あまり … 度を過ごすこと
・に … 格助詞
・領(し)る … ラ行四段活用の動詞「領る」の連体形
しる … 領有する
・所 … 名詞
・など … 副助詞
・給(た)び … バ行四段活用の動詞「給ぶ」の連用形
給ぶ … 「与ふ」の尊敬語 ⇒ 作者から大納言への敬意
・たり … 完了の助動詞「たり」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形

この蔵人は内裏の六位など経て、やさし蔵人と言はれける者なりけり。
この蔵人は内裏の六位などを経て、やさし蔵人と言われた者であった。
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・蔵人 … 名詞
・は … 係助詞
・内裏(だいり) … 名詞
・の … 格助詞
・六位 … 名詞
・など … 副助詞
・経(へ) … ハ行下二段活用の動詞「経(ふ)」の連用形
・て … 接続助詞
・やさし蔵人 … 名詞
やさし … 心やさしい
・と … 格助詞
・言は … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の未然形
・れ … 受身の助動詞「る」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・者 … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

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