昔、大和の国葛城の郡に住む男・女ありけり。
昔、大和の国葛城の郡に住む男と女がいた。
住む … マ行四段活用の動詞「住む」連体形
あり … ラ行変格活用の動詞「あり」連用形
けり … 過去の助動詞「けり」終止形
この女、顔かたちいときよらなり。
この女は、顔立ちがたいそう気品があって美しい。
きよらなり … ナリ活用の形容動詞「きよらなり」の終止形
年ごろ思ひかはして住むに、この女、いとわろくなりにければ、
長年の間愛し合って住んでいるうちに、この女が、たいそう貧しくなってしまったので、
思ひかはし … サ行四段活用の動詞「思ひかはす」の連用形
住む … マ行四段活用の動詞「住む」の連体形
わろく … ク活用の形容詞「わろし」の連用形
なり … ラ行四段活用の動詞「なる」の連用形
に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
思ひわづらひて、限りなく思ひながら、妻をまうけてけり。
思い悩んで、限りなく恋しく思いながらも、ほかに妻を作ってしまった。
思ひわづらひ … ハ行四段活用の動詞「思ひわづらふ」の連用形
限りなく … ク活用の形容詞「限りなし」の連用形
思ひ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連用形
まうけ … カ行下二段活用の動詞「まうく」の連用形
て … 完了の助動詞「つ」の連用形
けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
この今の妻は、富みたる女になむありける。
この新しい妻は、裕福な女であった。
富み … マ行四段活用の動詞「富む」の連用形
たる … 存続の助動詞「たり」の連体形
に … 断定の助動詞「なり」の連用形
あり … ラ行変格活用の補助動詞「あり」の連用形
ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
ことに思はねど、行けばいみじういたはり、身の装束もいときよらにせさせけり。
特別に愛してはいないけれど、行くとたいそう気を使って世話をして、身につける衣装もとてもきれいにさせた。
思は … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の未然形
ね … 打消の助動詞「ず」の已然形
行け … カ行四段活用の動詞「行く」の已然形
いみじう … シク活用の形容詞「いみじ」の連用形(ウ音便)
いたはり … ラ行四段活用の動詞「いたはる」の連用形
きよらに … ナリ活用の形容動詞「きよらなり」の連用形
せ … サ行変格活用の動詞「す」の未然形
させ … 使役の助動詞「さす」の連用形
けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
かくにぎははしき所にならひて、来たれば、この女、いとわろげにてゐて、
このように裕福な所に慣れて、帰って来ると、この女は、たいそう貧しい様子でいて、
にぎははしき … シク活用の形容詞「にぎははし」の連体形
ならひ … ハ行四段活用の動詞「ならふ」の連用形
来 … カ行変格活用の動詞「来」の連用形
たれ … 完了の助動詞「たり」の已然形
わろげに … ナリ活用の形容詞「わろげなり」の連用形
ゐ … ワ行上一段活用の動詞「ゐる」の連用形
かくほかにありけど、さらに妬げにも見えずなどあれば、いとあはれと思ひけり。
このように他の所に出歩いても、まったく妬ましそうにも見えなかったりなどしたので、非常にかわいそうだと思った。
ありけ … カ行四段活用の動詞「ありく」の已然形
妬げに … ナリ活用の形容動詞「妬げなり」の連用形
見え … ヤ行下二段活用の動詞「見ゆ」の未然形
ず … 打消の助動詞「ず」の終止形
あれ … ラ行変格活用の補助動詞「あり」の已然形
あはれ … ナリ活用の形容動詞「あはれなり」の語幹
思ひ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連用形
けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
心地には、限りなく妬く心憂く思ふを、忍ぶるになむありける。
心の中では、限りなく妬ましくつらく思うのを、じっと我慢していたのだった。
限りなく … ク活用の形容詞「限りなし」の連用形
妬く … ク活用の形容詞「妬し」の連用形
心憂く … ク活用の形容詞「心憂し」の連用形
思ふ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連体形
忍ぶる … バ行上二段活用の動詞「忍ぶ」の連体形
に … 断定の助動詞「けり」の連用形
あり … ラ行変格活用の補助動詞「あり」の連用形
ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
とどまりなむと思ふ夜も、なほ「いね。」と言ひければ、
きっと泊まろうと思う夜も、やはり「お行きなさい。」と言ったので、
とどまり … ラ行四段活用の動詞「とどまる」の連用形
な … 強意の助動詞「ぬ」の未然形
む … 意志の助動詞「む」の連体形
思ふ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連体形
いね … ナ行変格活用の動詞「いぬ」の命令形
言ひ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連用形
けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
わがかくありきするを妬まで、異わざするにやあらむ、
自分がこのように出歩くのを妬まないで、ほかに男を通わせているのだろうか、
ありきする … サ行変格活用の動詞「ありきす」の連体形
妬ま … マ行四段活用の動詞「妬む」の未然形
異わざする … サ行変格活用の動詞「異わざす」の連体形
に … 断定の助動詞「なり」の連用形
あら … ラ行変格活用の補助動詞「あり」の未然形
む … 推量の助動詞「む」の終止形
さるわざせずは恨むることもありなむなど、心のうちに思ひけり。
そういうことをしないのなら恨むことも必ずあるだろうなどと、心の中で思った。
せ … サ行変格活用の動詞「す」の未然形
ず … 打消の助動詞「ず」の連用形
恨むる … マ行上二段活用の動詞「恨む」の連体形
あり … ラ行変格活用の動詞「あり」の連用形
な … 強意の助動詞「ぬ」の未然形
む … 推量の助動詞「む」の連体形
思ひ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連用形
けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
さて、出でて行くと見えて、前栽の中に隠れて、男や来ると見れば、
そして、出て行くと見せかけて、庭に植えてある草木の中に隠れて、男が来るだろうかと見ていると、
出で … ダ行下二段活用の動詞「出づ」の連用形
行く … カ行四段活用の動詞「行く」の連体形
見え … ヤ行下二段活用の動詞「見ゆ」の連用形
隠れ … ラ行下二段活用の動詞「隠る」の連用形
来る … カ行変格活用の動詞「来」の連体形
見れ … マ行上一段活用の動詞「見る」の已然形
端に出でゐて、月のいといみじうおもしろきに、頭かいけづりなどしてをり。
縁側に出て座って、月がとてもすばらしく趣がある中で、髪を櫛でとかしなどしている。
出でゐ … ワ行上一段活用の動詞「出でゐる」の連用形
いみじう … シク活用の形容詞「いみじ」の連用形(ウ音便)
おもしろき … ク活用の形容詞「おもしろし」の連体形
かいけづり … ラ行四段活用の動詞「かきけづる」の連用形(イ音便)
し … サ行変格活用の動詞「す」の連用形
をり … ラ行変格活用の動詞「をり」の終止形
夜更くるまで寝ず、いといたううち嘆きてながめければ、
夜が更けるまで寝ないで、とてもひどく嘆いてもの思いにふけっていたので、
更くる … カ行下二段活用の動詞「更く」の連体形
寝 … ナ行下二段活用の動詞「寝」の未然形
ず … 打消の助動詞「ず」の連用形
いたう … ク活用の形容詞「いたし」の連用形(ウ音便)
うち嘆き … カ行四段活用の動詞「うち嘆く」の連用形
ながめ … マ行下二段活用の動詞「ながむ」の連用形
けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
人待つなめりと見るに、使ふ人の前なりけるに言ひける。
人を待っているのだろうと見ていると、召使いで前にいる人に言ったことには、
待つ … タ行四段活用の動詞「待つ」の連体形
な … 断定の助動詞「なり」の連体形(撥音便)
なるめり⇒なんめり⇒なめり
めり … 推量の助動詞「めり」の終止形
見る … マ行上一段活用の動詞「見る」の連体形
使ふ … ハ行四段活用の動詞「使ふ」の連体形
なり … 存在の助動詞「なり」の連用形
ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
言ひ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連用形
ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ
風が吹くと沖の白波が立つという竜田山を真夜中にあなたは一人で越えているのでしょうか
吹け … カ行四段活用の動詞「吹く」の已然形
越ゆ … ヤ行下二段活用の動詞「越ゆ」の終止形
らむ … 現在推量の助動詞「らむ」の連体形
とよみければ、わがうへを思ふなりけりと思ふに、いとかなしうなりぬ。
と詠んだので、私の身の上を心配しているのだなあと思うと、とてもいとしくなった。
よみ … マ行四段活用の動詞「よむ」の
けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
思ふ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連体形
なり … 断定の助動詞「なり」の連用形
けり … 詠嘆の助動詞「けり」の終止形
思ふ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連体形
かなしう … シク活用の形容詞「かなし」の連用形(ウ音便)
なり … ラ行四段活用の動詞「なる」の連用形
ぬ … 完了の助動詞「ぬ」の終止形
この今の妻の家は、竜田山越えて行く道になむありける。
この新しい妻の家は、竜田山を越えて行く道筋にあった。
越え … ヤ行下二段活用の動詞「越ゆ」の連用形
行く … カ行四段活用の動詞「行く」の連体形
あり … ラ行変格活用の動詞「あり」の連用形
ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
かくて、なほ見をりければ、この女、うち泣きて伏して、
こうして、さらに見ていたところ、この女は、泣いてうつ伏せになって、
見 … マ行上一段活用の動詞「見る」の連用形
をり … ラ行変格活用の補助動詞「をり」の連用形
けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
うち泣き … カ行四段活用の動詞「うち泣く」の連用形
伏し … サ行四段活用の動詞「伏す」の連用形
金椀に水を入れて、胸になむ据ゑたりける。
金属製の椀に水を入れて、胸にあてていた。
入れ … ラ行下二段活用の動詞「入る」の連用形
据ゑ … ワ行下二段活用の動詞「据う」の連用形
たり … 存続の助動詞「たり」の連用形
ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
あやし、いかにするにかあらむとて、なほ見る。
不思議だ、どうするのだろうと思って、さらに見ている。
あやし … シク活用の形容詞「あやし」の終止形
する … サ行変格活用の動詞「す」の連体形
に … 断定の助動詞「なり」の連用形
あら … ラ行変格活用の補助動詞「あり」の未然形
む … 推量の助動詞「む」の連体形
見る … マ行上一段活用の動詞「見る」の終止形
されば、この水、熱湯にたぎりぬれば、湯ふてつ。
すると、この水が、熱湯に煮え立ってしまったので、湯を捨てた。
たぎり … ラ行四段活用の動詞「たぎる」の連用形
ぬれ … 完了の助動詞「ぬ」の已然形
ふて … タ行下二段活用の動詞「ふつ」の連用形
つ … 完了の助動詞「つ」の終止形
また水を入る。
また水を入れる。
入る … ラ行下二段活用の動詞「入る」の終止形
見るにいとかなしくて、走り出でて、「いかなる心地したまへば、
見ているとたいそういとしくなって、走り出して、「どのような気持ちがなさったので、
見る … マ行上一段活用の動詞「見る」の連体形
かなしく … シク活用の形容詞「かなし」の連用形
走り出で … ダ行下二段活用の動詞「走り出づ」の連用形
いかなる … ナリ活用の形容動詞「いかなり」の連体形
心地し … サ行変格活用の動詞「心地す」の連用形
たまへ … ハ行四段活用の尊敬の補助動詞「たまふ」の已然形
かくはしたまふぞ。」と言ひて、かき抱きてなむ寝にける。
このようになさるのですか。」と言って、抱きかかえて寝てしまった。
し … サ行変格活用の動詞「す」の連用形
たまふ … ハ行四段活用の尊敬の補助動詞「たまふ」の終止形
言ひ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連用形
かき抱き … カ行四段活用の動詞「かき抱く」の連用形
寝 … ナ行下二段活用の動詞「寝」の連用形
に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
かくて、ほかへもさらに行かで、つとゐにけり。
こうして、よそへもまったく行かないで、じっと離れずにいた。
行か … カ行四段活用の動詞「行く」の未然形
ゐ … ワ行上一段活用の動詞「ゐる」の連用形
に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
かくて、月日多く経て思ひけるやう、つれなき顔なれど、女の思ふこといといみじきことなりけるを、
こうして、月日が多く経って思ったことには、さりげない顔であるけれど、女が心中で思うことはとてもはなはだしいものだったから、
多く … ク活用の形容詞「多し」の連用形
経 … ハ行下二段活用の動詞「経」の連用形
思ひ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連用形
ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
つれなき … ク活用の形容詞「つれなし」の連体形
なれ … 断定の助動詞「なり」の已然形
思ふ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連体形
いみじき … シク活用の形容詞「いみじ」の連体形
なり … 断定の助動詞「なり」の連用形
ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
かく行かぬをいかに思ふらむと、思ひ出でて、ありし女のがり行きたりけり。
このように行かないのをどのように思っているだろうと、思い出して、例の女のもとに行った。
行か … カ行四段活用の動詞「行く」の未然形
ぬ … 打消の助動詞「ず」の連体形
思ふ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の終止形
らむ … 現在推量の助動詞「らむ」の終止形
思ひ出で … ダ行下二段活用の動詞「思ひ出づ」の連用形
行き … カ行四段活用の動詞「行く」の連用形
たり … 完了の助動詞「たり」の連用形
けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
久しく行かざりければ、つつましくて立てりけり。
長い間行かなかったので、気がひけて門前に立っていた。
久しく … シク活用の形容詞「久し」の連用形
行か … カ行四段活用の動詞「行く」の未然形
ざり … 打消の助動詞「ず」の連用形
けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
つつましく … シク活用の形容詞「つつまし」の連用形
立て … タ行四段活用の動詞「立つ」の命令形
り … 存続の助動詞「り」の連用形
けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
さて、垣間めば、我にはよくて見えしかど、いとあやしきさまなる衣を着て、
そして、垣根の隙間からのぞき見ると、自分には美しくして会っていたけれど、たいそうみすぼらしい様子の着物を着て、
垣間め … マ行四段活用の動詞「垣間む」の已然形
よく … ク活用の形容詞「よし」の連用形
見え … ヤ行下二段活用の動詞「見ゆ」の連用形
しか … 過去の助動詞「き」の已然形
あやしき … シク活用の形容詞「あやし」の連体形
なる … 断定の助動詞「なり」の連体形
着 … カ行上一段活用の動詞「着る」の連用形
大櫛を面櫛にさしかけてをりて、手づから飯盛りをりけり。
大櫛を額髪につきさしていて、自分で飯を盛りつけていた。
さしかけ … カ行下二段活用の動詞「さしかく」の連用形
をり … ラ行変格活用の動詞「をり」の連用形
盛り … ラ行四段活用の動詞「盛る」の連用形
をり … ラ行変格活用の補助動詞「をり」の連用形
けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
いといみじと思ひて、来にけるままに、行かずなりにけり。
まったくひどいと思って、帰って来たきり、行かなくなってしまった。
いみじ … シク活用の形容詞「いみじ」の終止形
思ひ … カ行四段活用の動詞「思ふ」の連用形
来 … カ行変格活用の動詞「来」の連用形
に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
行か … カ行四段活用の動詞「行く」の未然形
ず … 打消の助動詞「ず」の連用形
なり … カ行四段活用の動詞「なる」の未然形
に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
この男は王なりけり。
この男は皇族の血を引く者だったということだ。
なり … 断定の助動詞「なり」の連用形
けり … 過去の助動詞「けり」の終止形