平中が事・古本説話集

今は昔、平中といふ色好み、
今では昔のことだが、平中という恋愛の愛好者が、
・今 … 代名詞
・は … 格助詞
・昔 … 名詞
・平中(へいちゆう) … 副詞
・と … 代名詞
・いふ … 格助詞
・色好み … 名詞
○色好み … 恋愛の情趣を理解している人

さしも心に入らぬ女のもとにても、
それほど気に入らない女のところでも、
・さしも … 副詞
○さしも(~打消) … それほど(~ない)
・心 … 名詞
・に … 格助詞
・入ら … ラ行四段活用の動詞「入る」の未然形
○心に入る … 心に深くはいる
・ぬ … 打消の助動詞「ず」の連体形
・女 … 名詞
・の … 格助詞
・もと … 名詞
・にて … 格助詞
・も … 係助詞

泣かれぬ音をそら泣きをし、涙に濡らさむ料に、
泣けてこないのに泣くふりをして、涙で濡らすために、
・泣か … カ行四段活用の動詞「泣く」の未然形
・れ … 自発の助動詞「る」の未然形
・ぬ … 打消の助動詞「ず」の連体形
・音(ね) … 名詞
・を … 格助詞
・そら泣き … 名詞
○そら泣き … 泣くふり
・を … 格助詞
・し … サ行変格活用の動詞「す」の連用形
・涙 … 名詞
・に … 格助詞
・濡(ぬ)らさ … サ行四段活用の動詞「濡らす」の未然形
・む … 婉曲の助動詞「む」の連体形
・料(しろ) … 名詞
・に … 格助詞
○~料に … ~ために

硯瓶に水を入れて、緒をつけて肘に掛けしありきつ。
硯瓶に水を入れて、細いひもをつけて肘に掛けて歩き回っていた。
・硯瓶(すずりがめ) … 名詞
○硯瓶 … 墨をする水を入れる器
・に … 格助詞
・水 … 名詞
・を … 格助詞
・入れ … ラ行下二段活用の動詞「入る」の連用形
・て … 接続助詞
・緒(お) … 名詞
○緒 … 細いひも
・を … 格助詞
・つけ … カ行下二段活用の動詞「つく」の連用形
・て … 接続助詞
・肘 … 名詞
・に … 格助詞
・掛け … カ行下二段活用の動詞「掛く」の連用形
・しありき … カ行四段活用の動詞「しありく」の連用形
○しありく … 歩き回る
・つ … 完了の助動詞「つ」の終止形

顔・袖を濡らしけり。
顔や袖を濡らした。
・顔 … 名詞
・袖 … 名詞
・を … 格助詞
・濡らし … サ行四段活用の動詞「濡らす」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

出居の方を、妻のぞきて見れば、
南廂の間のほうを、妻がのぞいて見ると、
・出居(でい) … 名詞
○出居 … 寝殿造りで南廂に設ける間
・の … 格助詞
・方(かた) … 名詞
・を … 格助詞
・妻 … 名詞
・のぞき … カ行四段活用の動詞「のぞく」の連用形
・て … 接続助詞
・見れ … マ行上一段活用の動詞「見る」の已然形
・ば … 接続助詞

間木に物をさし置きけるを、
長押の上の棚に物を置いていたが、
・間木(まぎ) … 名詞
○ … 長押の上の棚
・に … 格助詞
・物 … 名詞
・を … 格助詞
・さし置き … カ行四段活用の動詞「さし置く」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・を … 格助詞

出でてのち取り下ろして見れば、硯瓶なり。
出ていってから取り下ろして見ると、硯瓶である。
・出で … ダ行下二段活用の動詞「出づ」の連用形
・て … 接続助詞
・のち … 名詞
・取り下ろし … サ行四段活用の動詞「取り下ろす」の連用形
・て … 接続助詞
・見れ … マ行上一段活用の動詞「見る」の已然形
・ば … 接続助詞
・硯瓶 … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の終止形

また、畳紙に丁子入りたり。
また、折り畳んだ紙に丁子が入っていた。
・また … 接続詞
・畳紙(たとうがみ) … 名詞
○畳紙 … 折り畳んだ紙
・に … 格助詞
・丁子(ちようじ) … 名詞
○丁子 … つぼみが香料になる常緑高木
・入り … ラ行四段活用の動詞「入る」の連用形
・たり … 存続の助動詞「たり」の終止形

瓶の水をいうてて、墨を濃くすりて入れつ。
瓶の水を注ぎ捨てて、墨を濃くすって入れた。
・瓶(かめ) … 名詞
・の … 格助詞
・水 … 名詞
・を … 格助詞
・いうて … タ行下二段活用の動詞「いうつ」の連用形
○いうつ … 注ぎ捨てる
・て … 接続助詞
・墨 … 名詞
・を … 格助詞
・濃く … 
・すり … ラ行四段活用の動詞「する」の連用形
・て … 接続助詞
・入れ … ラ行下二段活用の動詞「入る」の連用形
・つ … 完了の助動詞「つ」の終止形

鼠の物を取り集めて、丁子に入れ替へつ。
鼠のふんを取り集めて、丁子と入れ替えた。
・鼠(ねずみ) … 名詞
・の … 格助詞
・物 … 名詞
○鼠の物 … 鼠のふん
・を … 格助詞
・取り集め … マ行下二段活用の動詞「取り集む」の連用形
・て … 接続助詞
・丁子 … 名詞
・に … 格助詞
・入れ替へ … ハ行下二段活用の動詞「入れ替ふ」の連用形
・つ … 完了の助動詞「つ」の終止形

さてもとのやうに置きつ。
そうしてもとのように置いた。
・さて … 副詞
さて … そうして
・もと … 名詞
・の … 格助詞
・やう … 名詞
・に … 格助詞
・置き … カ行四段活用の動詞「置く」の連用形
・つ … 完了の助動詞「つ」の終止形

例のことなれば、夕さりは出でぬ。
いつものことなので、夕方に出ていった。
・例 … 名詞
○例 … ふだん
・の … 格助詞
・こと … 名詞
・なれ … 断定の助動詞「なり」の已然形
・ば … 接続助詞
・夕さり … 名詞
○夕さり … 夕方
・は … 係助詞
・出で … ダ行下二段活用の動詞「出づ」の連用形
・ぬ … 完了の助動詞「ぬ」の終止形

暁に帰りて、心地あしげにて、唾を吐き、臥したり。
夜明け前に帰って、気持ち悪そうな様子で、唾を吐き、横になった。
・暁 … 名詞
・に … 格助詞
・帰り … ラ行四段活用の動詞「帰る」の連用形
・て … 接続助詞
・心地 … 名詞
・あしげに … ナリ活用の形容動詞「あしげなり」の連用形
○あしげなり … よくないさま
・て … 接続助詞
・唾(つばき) … 名詞
・を … 格助詞
・吐き … カ行四段活用の動詞「吐く」の連用形
・臥(ふ)し … サ行四段活用の動詞「臥す」の連用形
○臥す … 横になる
・たり … 完了の助動詞「たり」の終止形

「畳紙の物の故なめり。」と、
「折り畳んだ紙に入っていた物のせいだろう。」と、
・畳紙 … 名詞
・の … 格助詞
・物 … 名詞
・の … 格助詞
・故(け) … 名詞
○故 … ため
なめり … なるめり ⇒ なんめり ⇒ なめり   
・な … 断定の助動詞「なり」の連体形(音便・無表示)
・めり … 推量の助動詞「めり」の終止形
・と … 格助詞

妻は聞き臥したり。
妻は聞きながら横になっていた。
・妻 … 名詞
・は … 係助詞
・聞き臥し … サ行四段活用の動詞「聞き臥す」の連用形
・たり … 存続の助動詞「たり」の終止形

夜明けて見れば、袖に墨ゆゆしげにつきたり。
夜が明けて見ると、袖に墨が不吉な感じで付いていた。
・夜 … 名詞
・明け … カ行下二段活用の動詞「明く」の連用形
・て … 接続助詞
・見れ … マ行上一段活用の動詞「見る」の已然形
・ば … 接続助詞
・袖 … 名詞
・に … 格助詞
・墨 … 名詞
・ゆゆしげに … ナリ活用の形容動詞「ゆゆしげなり」の連用形
○ゆゆしげなり … 不吉な感じである
・つき … カ行四段活用の動詞「つく」の連用形
・たり … 存続の助動詞「たり」の終止形

鏡を見れば、顔も真黒に、
鏡を見ると、顔も真黒で、
・鏡 … 名詞
・を … 格助詞
・見れ … マ行上一段活用の動詞「見る」の已然形
・ば … 接続助詞
・顔 … 名詞
・も … 係助詞
・真黒(まくろ) … 名詞
・に … 格助詞

目のみきらめきて、我ながらいと恐しげなり。
目だけがきらきらと光って、我ながらたいそう不気味な感じだ。
・目 … 名詞
・のみ … 副助詞
・きらめき … カ行四段活用の動詞「きらめく」の連用形
・て … 接続助詞
・我ながら … 名詞
・いと … 副詞
・恐ろしげなり … ナリ活用の形容動詞「恐ろしげなり」の終止形
○恐ろしげなり … 不気味な感じである

硯瓶を見れば、墨をすりて入れたり。
硯瓶を見ると、墨をすって入れてあった。
・硯瓶 … 名詞
・を … 格助詞
・見れ … 行上一段活用の動詞「見る」の已然形
・ば … 接続助詞
・墨 … 名詞
・を … 格助詞
・すり … 行四段活用の動詞「する」の連用形
・て … 接続助詞
・入れ … 行下二段活用の動詞「入る」の連用形
・たり … 存続の助動詞「たり」の終止形

畳紙に鼠の物入りたり。
畳紙には鼠のふんが入っていた。
・畳紙 … 名詞
・に … 格助詞
・鼠 … 名詞
・の … 格助詞
・物 … 名詞
・入り … 行四段活用の動詞「入る」の連用形
・たり … 存続の助動詞「たり」の終止形

いといとあさましく心憂くて、そののちそら泣きの涙、
非常に情けなく辛くて、それ以来うそ泣きで涙を流すこと、
・いといと … 副詞
・あさましく … シク活用の形容詞「あさまし」の連用形
あさまし … 情けない
・心憂く … ク活用の形容詞「心憂し」の連用形
心憂し … つらい
・て … 接続助詞
・そ … 代名詞
・の … 格助詞
・のち … 名詞
・そら泣き … 名詞
・の … 格助詞
・涙 … 名詞

丁子含むこと、とどめてけるとぞ。
丁子を口に含むことを、やめたということだ。
・丁子 … 名詞
・含(くく)む … 行四段活用の動詞「含む」の連体形
・こと … 名詞
・とどめ … 行下二段活用の動詞「とどむ」の連体形
○とどむ … やめる
・て … 接続助詞
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・と … 格助詞
・ぞ … 係助詞

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