用枝の篳篥・古今著聞集

志賀憎正明尊、もとより篳篥を憎む人なりけり。
志賀僧正明尊は、もともと篳篥を嫌っている人だった。
・志賀憎正明尊(しがのそうじょうみょうそん) … 名詞
・もとより … 副詞
○もとより … もともと
・篳篥(ひちりき) … 名詞
・を … 格助詞
・憎む … マ行四段活用の動詞「憎む」の連体形
・人 … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

ある時、明月の夜、湖上に三船を浮かべて、
ある時、明月の夜、湖上に三艘の船を浮かべて、
・ある … 連帯詞
・時 … 名詞
・明月 … 名詞
・の … 格助詞
・夜 … 名詞
・湖上 … 名詞
・に … 格助詞
・三船 … 名詞
・を … 格助詞
・浮かべ … バ行下二段活用の動詞「浮かぶ」の連用形
・て … 接続助詞

管弦•和歌•頌物の人を乗せて宴遊しけるに、
管絃・和歌・漢詩文の人を乗せて宴遊したところ、
・管弦 … 名詞
・和歌 … 名詞
・頌物(しょうぶつ) … 名詞
○頌物 … 漢詩文
・の … 格助詞
・人 … 名詞
・を … 格助詞
・乗せ … サ行下二段活用の動詞「乗す」の連用形
・て … 接続助詞
・宴遊(えんいう) … 名詞
○宴遊 … 酒を飲みご馳走を食べて遊び楽しむこと
・し … サ行変格活用の動詞「す」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・に … 接続助詞

伶人らその舟に乗らんとする時いはく、
伶人たちがその舟に乗ろうとした時に言うことには、
・伶人(れいじん)ら … 名詞
○伶人 … 雅楽を演奏する人
・そ … 代名詞
・の … 格助詞
・舟 … 名詞
・に … 格助詞
・乗ら … ラ行四段活用の動詞「乗る」の未然形
・ん … 意志の助動詞「ん」の連体形
・と … 格助詞
・する … サ行変格活用の動詞「す」の連体形
・時 … 名詞
・いは … ハ行四段活用の動詞「いふ」の未然形
・く … 接尾語

「この憎正は篳篥憎み給ふ人なり。しかあれば用枝は乗るべからず。
「この僧正は篳篥を嫌っておられる人だ。だから用枝は乗ってはならない。
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・憎正 … 名詞
・は … 係助詞
・篳篥 … 名詞
・憎み … マ行四段活用の動詞「憎む」の連用形
・給ふ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連体形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 伶人たちから明尊への敬意
・人 … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の終止形
・しか … 副詞
・あれ … ラ行変格活用の動詞「あり」の已然形
・ば … 接続助詞
・用枝(もちえだ) … 名詞
・は … 係助詞
・乗る … ラ行四段活用の動詞「乗る」の終止形
・べから … 当然の助動詞「べし」の未然形
・ず … 打消の助動詞「ず」の終止形

事にがりなんず。」とて、乗せざりければ、
宴遊が不快なものになるだろう。」と言って乗せなかったので、
・事 … 名詞
 … 行事
・にがり … ラ行四段活用の動詞「にがる」の連用形
○にがる … 不快な気持ちを顔に表す
・な … 完了の助動詞「ぬ」の未然形
・んず … 推量の助動詞「んず」の終止形
・とて … 格助詞
・乗せ … サ行下二段活用の動詞「乗す」の未然形
・ざり … 打消の助動詞「ず」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞

用枝、「さらば打物をもこそ仕らめ。」とて、しひて乗りけり。
用枝は、「それなら打楽器でもいたしましょう。」と言って、無理に乗った。
・用枝 … 名詞
・さらば … 接続詞
・打物(うちもの) … 名詞
・を … 格助詞
・も … 係助詞
・こそ … 係助詞・強意
・仕(つかまつ)ら … ラ行四段活用の動詞「仕る」の未然形
仕る … 「す」の丁寧語 ⇒ 用枝から伶人たちへの敬意
・め … 意志の助動詞「む」の已然形(結び)
・とて … 格助詞
・しひて … 副詞
○しひて … 無理に
・乗り … ラ行四段活用の動詞「乗る」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

やうやう深更に及ぶほどに、用枝ひそかに篳篥を抜き出だして、
だんだん夜が更けていくうちに、用枝はひそかに篳篥を抜き出して、
・やうやう … 副詞
○やうやう … だんだん
・深更(しんこう) … 名詞
○深更 … 夜ふけ
・に … 格助詞
・及ぶ … バ行四段活用の動詞「及ぶ」の連体形
・ほど … 名詞
ほど … うち
・に … 格助詞
・用枝 … 名詞
・ひそかに … ナリ活用の形容動詞「ひそかなり」の連用形
・篳篥 … 名詞
・を … 格助詞
・抜き出(い)だし … サ行四段活用の動詞「抜き出だす」の連用形
・て … 接続助詞

湖水に浸して潤しけり。人々見て、「篳篥か。」と問ひければ、
湖水に浸して潤した。人々が見て、「篳篥か。」と尋ねたので、
・湖水 … 名詞
・に … 格助詞
・浸し … サ行四段活用の動詞「浸す」の連用形
・て … 接続助詞
・潤し … サ行四段活用の動詞「潤す」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
・人々 … 名詞
・見 … マ行上一段活用の動詞「見る」の連用形
・て … 接続助詞
・篳篥 … 名詞
・か … 係助詞・疑問
・と … 格助詞
・問ひ … ハ行四段活用の動詞「問ふ」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞

「さにはあらず。手洗ふなり。」と答へて、
「そうではない。手を洗うのです。」と答えて、
・さ … 副詞
・に … 断定の助動詞「なり」の連用形
・は … 係助詞
・あら … ラ行変格活用の動詞「あり」の未然形
・ず … 打消の助動詞「ず」の終止形
・手 … 名詞
・洗ふ … ハ行四段活用の動詞「洗ふ」の連体形
・なり … 断定の助動詞「なり」の終止形
・と … 格助詞
・答へ … ハ行下二段活用の動詞「答ふ」の連用形
・て … 接続助詞

何となき体にてゐたり。
特にどうということもない様子で座っていた。
・何 … 代名詞
・と … 格助詞
・なき … ク活用の形容詞「なし」の連体形
○何となき … 特にどうということもない
・体(てい) … 名詞
○体 … 有様、様子
・に … 断定の助動詞「なり」の連用形
・て … 接続助詞
・ゐ … ワ行上一段活用の動詞「ゐる」の連用形
ゐる … 座っている
・たり … 完了の助動詞「たり」の終止形

しばらくありて、つひに音取出だしたりければ、
しばらくして、とうとう(篳篥の)調子を合わせ始めたので、
・しばらく … 副詞
・あり … ラ行変格活用の動詞「あり」の連用形
あり … 時間が過ぎる
・て … 接続助詞
・つひに … 副詞
・音(ね)取り出だし … サ行四段活用の動詞「音取り出だす」の連用形
○音取る … 楽器の調子を合わせる
・たり … 完了の助動詞「たり」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞

かたへの楽人ども、「さればこそ言ひつれ。
そばにいる楽人たちは、「だからこそ言ったのだ。
・かたへ … 名詞
○かたへ … そば
・の … 格助詞
・楽人(がくじん)ども … 名詞
・されば … 接続詞
・こそ … 係助詞・強意
・言ひ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連用形
・つれ … 完了の助動詞「つ」の已然形(結び)

よしなきものを乗せて、興さめなんず。」と、
いわれのない者を乗せて、楽しさが無くなるだろう。」と、
・よしなき … ク活用の形容詞「よしなし」の連用形
よしなし … 理由がない
・もの … 名詞
・を … 格助詞
・乗せ … サ行下二段活用の動詞「乗す」の連用形
・て … 接続助詞
・興 … 名詞
○興 … 楽しさ
・さめ … マ行下二段活用の動詞「さむ」の連用形
○さむ … 平静になる
・な … 完了の助動詞「ぬ」の未然形
・んず … 推量の助動詞「んず」の終止形
・と … 格助詞

色を失ひて嘆きあへるほどに、その曲めでたく妙にしてしみたり。
青ざめて嘆き合ううちに、その曲がすばらしく優れていて心にしみ込んだ。
・色 … 名詞
・を … 格助詞
・失ひ … ハ行四段活用の動詞「失ふ」の連用形
○色を失う〜青ざめる
・て … 接続助詞
・嘆きあへ … ハ行四段活用の動詞「嘆きあふ」の已然形
・る … 存続の助動詞「り」の連体形
・ほど … 名詞
・に … 格助詞
・そ … 代名詞
・の … 格助詞
・曲 … 名詞
・めでたく … ク活用の形容詞「めでたし」の連用形
めでたし … すばらしい
・妙に … ナリ活用の形容動詞「妙なり」の連用形
○妙なり … 神秘的で優れているさま
・して … 接続助詞
・しみ … マ行四段活用の動詞「しむ」の連用形
しむ … 心に染み込む
・たり … 完了の助動詞「たり」の終止形

聞く人みな涙落ちぬ。
聞く人はみんな涙が落ちた。
・聞く … カ行四段活用の動詞「聞く」の連体形
・人 … 名詞
・みな … 副詞
・涙 … 名詞
・落ち … タ行上二段活用の動詞「落つ」の連用形
・ぬ … 完了の助動詞「ぬ」の終止形

年ごろこれをいとはるる憎正、人よりことに泣きて言はれけるは、
長年の間これを嫌っておられた憎正が、人より格別に泣いて言われたのは、
・年ごろ … 名詞
年ごろ … 長年の間
・これ … 代名詞
・を … 格助詞
・いとは … ハ行四段活用の動詞「いとふ」の連用形
○いとふ … いやがる
・るる … 尊敬の助動詞「る」の連体形 ⇒ 作者から明尊への敬意
・憎正 … 名詞
・人 … 名詞
・より … 格助詞
・ことに … 副詞
○ことに … 格別に
・泣き … カ行四段活用の動詞「泣く」の連用形
・て … 接続助詞
・言は … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の未然形
・れ … 尊敬の助動詞「る」の連用形 ⇒ 作者から明尊への敬意
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・は … 係助詞

「正教に、篳篥は迦陵頻の声を学ぶと言へることあり。
「仏教の経典に、篳篥は迦陵頻の声を学ぶと述べられている。
・正教(しょうぎょう) … 名詞
○正教 … 仏教の経典
・に … 格助詞
・篳篥 … 名詞
・は … 係助詞
・迦陵頻(かりょうびん) … 名詞
・の … 格助詞
・声 … 名詞
・を … 格助詞
・学ぶ … バ行四段活用の動詞「学ぶ」の終止形
・と … 格助詞
・言へ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の已然形
・る … 存続の助動詞「り」の連体形
・こと … 名詞
・あり … ラ行変格活用の動詞「あり」の終止形

この言を信ぜざりける、口惜しきことなり。今こそ思ひ知りぬれ。
この言葉を信じなかったのは、残念なことだ。今まさに思い知った。
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・言 … 名詞
○言 … 言葉
・を … 格助詞
・信ぜ … サ行変格活用の動詞「信ず」の未然形
・ざり … 打消の助動詞「ず」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・口惜しき … シク活用の形容詞「口惜し」の連体形
口惜し … 残念だ
・こと … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の終止形
・今 … 名詞
・こそ … 係助詞・強意
・思ひ知り … ラ行四段活用の動詞「思ひ知る」の連用形
・ぬれ … 完了の助動詞「ぬ」の已然形(結び)

今夜の纒頭は他の人に及ぶべからず。
今夜の褒美は他の人はもらうべきではない。
・今夜 … 名詞
・の … 格助詞
・纒頭(てんとう) … 名詞
○纒頭 … 祝儀
・は … 係助詞
・他 … 名詞
・の … 格助詞
・人 … 名詞
・に … 格助詞
・及ぶ … バ行四段活用の動詞「及ぶ」の終止形
○及ぶ … 届く
・べから … 当然の助動詞「べし」の未然形
・ず … 打消の助動詞「ず」の終止形

用枝一人にあるべし。」とぞ言はれける。
用枝一人に与えられるべきだ。」と言われた。
・用枝 … 名詞
・一人 … 名詞
・に … 格助詞
・ある … ラ行変格活用の動詞「あり」の連体形
・べし … 当然の助動詞「べし」の終止形
・と … 格助詞
・ぞ … 係助詞・強意
・言は … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連用形
・れ … 尊敬の助動詞「る」の連用形 ⇒ 作者から明尊への敬意
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形(結び)

このことを後々まで言ひ出だして、泣かれけるとぞ。
このことを後々まで口に出して言って、お泣きになったということだ。
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・こと … 名詞
・を … 格助詞
・後々 … 名詞
・まで … 副助詞
・言ひ出だし … サ行四段活用の動詞「言ひ出だす」の連用形
・て … 接続助詞
・泣か … カ行四段活用の動詞「泣く」の未然形
・れ … 尊敬の助動詞「る」の連用形 ⇒ 作者から明尊への敬意
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・と … 格助詞
・ぞ … 係助詞

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