南院の競射(弓争い・競い弓)・大鏡

帥殿の、南院にて人々集めて弓あそばししに、
帥殿が、南の院で人々を集めて弓の競射をなさった時に、
・帥殿(そちどの) … 名詞
○帥殿 ⇒ 藤原伊周(これちか)
・の … 格助詞
・南院(みなみのいん) … 名詞
・にて … 格助詞
・人々 … 名詞
・集め … マ行下二段活用の動詞「集む」の連用形
・て … 接続助詞
・弓 … 名詞
○弓 … 弓の競射
・あそばし … サ行四段活用の動詞「あそばす」の連用形
あそばす … 「す」の尊敬語 ⇒ 筆者から帥殿への敬意
・し … 過去の助動詞「き」の連体形
・に … 格助詞

この殿渡らせ給へれば、思ひがけずあやしと、
この殿がおいでになったので、思いがけない不思議なことだと、
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・殿 … 名詞
○この殿 ⇒ 藤原道長(みちなが)
・渡ら … ラ行四段活用の動詞「渡る」の未然形
渡る … おいでになる
・せ … 尊敬の助動詞「す」の連用形 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・給へ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の已然形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・れ … 完了の助動詞「り」の已然形
・ば … 接続助詞
・思ひかけ … カ行下二段活用の動詞「思ひかく」の未然形
・ず … 打消の助動詞「ず」の連用形
・あやし … シク活用の形容詞「あやし」の終止形
あやし … 不思議である
・と … 格助詞

中関白殿思し驚きて、いみじう饗応し申させ給うて、
中関白殿は驚きになって、たいそうもてなし申し上げなさって、
・中関白殿(なかのかんぱくどの) … 名詞
○中関白殿 ⇒ 藤原道隆(みちたか)
・思(おぼ)し驚き … カ行四段活用の動詞「思し驚く」の連用形
思し驚く … 「思ひ驚く」の尊敬語 ⇒ 筆者から中関白殿への敬意
・て … 接続助詞
・いみじう … シク活用の形容詞「いみじ」の連用形(音便)
・饗応(きようおう)し … サ行変格活用の動詞「饗応す」の連用形
○饗応す … 酒食を出してもてなす
・申さ … サ行四段活用の動詞「申す」の未然形
申す … 謙譲の補助動詞 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・せ … 尊敬の助動詞「す」の連用形 ⇒ 筆者から中関白殿への敬意
・給う … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形(音便)
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から中関白殿への敬意
・て … 接続助詞

下臈におはしませど、前に立て奉りて、
官位の低い者でいらっしゃるけれど、先にお立て申し上げて、
・下臈(げろう) … 名詞
○下臈 … 官位・身分の低い者
・に … 断定の助動詞「なり」の連用形
・おはしませ … サ行四段活用の動詞「おはします」の已然形
おはします … 「あり」の尊敬語 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・ど … 接続助詞
・前 … 名詞
・に … 格助詞
・立て … タ行下二段活用の動詞「立つ」の連用形
・奉り … ラ行四段活用の動詞「奉る」の連用形
奉る … 謙譲の補助動詞 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・て … 接続助詞

まづ射させ奉らせ給ひけるに、
最初に射させ申し上げなさったところ、
・まづ … 副詞
・射 … ヤ行上一段活用の動詞「射る」の未然形
・させ … 使役の助動詞「さす」の連用形
・奉ら … ラ行四段活用の動詞「奉る」の未然形
奉る … 謙譲の補助動詞 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・せ … 尊敬の助動詞「す」の連用形、筆者から中関白殿への敬意
・給ひ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から中関白殿への敬意
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・に … 接続助詞

帥殿の矢数、いま二つ劣り給ひぬ。
帥殿の(的中した)矢の数が、もう二本負けておしまいになられた。
・帥殿 … 名詞
・の … 格助詞
・矢数(やかず) … 名詞
・いま … 副詞
・二つ … 名詞
・劣り … ラ行四段活用の動詞「劣る」の連用形
・給ひ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から帥殿への敬意
・ぬ … 完了の助動詞「ぬ」の終止形

中関白殿、また御前に候ふ人々も、
中関白殿も、また御前にお仕えしている人々も、
・中関白殿 … 名詞
・また … 接続詞
・御前(おまえ) … 名詞
・に … 格助詞
・候(さぶら)ふ … ハ行四段活用の動詞「候ふ」の連体形
候ふ … お仕えする(謙譲語) ⇒ 筆者から中関白殿への敬意
・人々 … 名詞
・も … 係助詞

「いま二度延べさせ給へ。」と申して、
「もう二度お延ばしなさいませ。」と申し上げて、
・いま … 副詞
・二度(ふたたび) … 名詞
・延べ … バ行下二段活用の動詞「延ぶ」の未然形
・させ … 尊敬の助動詞「さす」の連用形 ⇒ 中関白殿と御前の人々から入道殿への敬意
・給へ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の命令形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 中関白殿と御前の人々から入道殿への敬意
・と … 格助詞
・申し … サ行四段活用の動詞「申す」の連用形
申す … 「言ふ」の謙譲語 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・て … 接続助詞
なぜ「いま二度延べさせ給へ」と言ったのか ⇒ すでに確定している負けの状態から逃れるチャンスを帥殿に与えるため。

延べさせ給ひけるを、やすからず思しなりて、
お延ばしなさったのを、心おだやかでなくお思いになって、
・延べ … バ行下二段活用の動詞「延ぶ」の未然形
・させ … 尊敬の助動詞「さす」の連用形 ⇒ 筆者から中関白殿と御前の人々への敬意
・給ひ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から中関白殿と御前の人々への敬意
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・を … 接続助詞
・やすから … ク活用の形容詞「やすし」の未然形
○やすし … 心がおだやかである
・ず … 打消の助動詞「ず」の連用形
・思しなり … ラ行四段活用の動詞「思しなる」の連用形
思しなる … 「思ひなる」の尊敬語 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・て … 接続助詞
なぜ入道殿は「やすからず」思ったのか ⇒ 二度の延長は、すでに確定している自分の勝利を不確定な状態にするものだから。

「さらば、延べさせ給へ。」と仰せられて、
「それならば、お延ばしなさいませ。」とおっしゃられて、
・さらば … 接続詞
・延べ … バ行下二段活用の動詞「延ぶ」の未然形
・させ … 尊敬の助動詞「さす」の連用形 ⇒ 入道殿から中関白殿と御前の人々への敬意
・給へ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の命令形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 入道殿から中関白殿と御前の人々への敬意
・と … 格助詞
・仰せ … サ行下二段活用の動詞「仰す」の未然形
仰す … 「言ふ」の尊敬語 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・られ … 尊敬の助動詞「らる」の連用形 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・て … 接続助詞

また射させ給ふとて、仰せらるるやう、
また射なさろうとして、おっしゃられることには、
・また … 副詞
・射 … ヤ行上一段活用の動詞「射る」の未然形
・させ … 尊敬の助動詞「さす」の連用形 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・給ふ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の終止形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・とて … 格助詞
・仰せ … サ行下二段活用の動詞「仰す」の未然形
仰す … 「言ふ」の尊敬語 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・らるる … 尊敬の助動詞「らる」の連体形 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・やう … 名詞
○やう … 〜ことには

「道長が家より帝・后立ち給ふべきものならば、
「道長の家から帝や后がお立ちになるはずのものならば、
・道長 … 名詞
・が … 格助詞
・家 … 名詞
・より … 格助詞
・帝(みかど) … 名詞
・后(きさき) … 名詞
・立ち … タ行四段活用の動詞「立つ」の連用形
・給ふ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の終止形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 入道殿から(入道殿の子孫)への敬意
・べき … 当然の助動詞「べし」の連体形
・もの … 名詞
・なら … 断定の助動詞「なり」の未然形
・ば … 接続助詞

この矢当たれ。」と仰せらるるに、
この矢当たれ。」とおっしゃられると、
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・矢 … 名詞
・当たれ … ラ行四段活用の動詞「当たる」の命令形
・と … 格助詞
・仰せ … サ行下二段活用の動詞「仰す」の未然形
仰す … 「言ふ」の尊敬語 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・らるる … 尊敬の助動詞「らる」の連体形 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・に … 接続助詞

同じものを、中心には当たるものかは。
同じ当たるにしても、なんと的の真ん中に当たったではないか。
・同じ … シク活用の形容詞「同じ」の連体形
・もの … 名詞
・を … 格助詞
・中心(なから) … 名詞
・に … 格助詞
・は … 係助詞
・当たる … ラ行四段活用の動詞「当たる」の連体形
・ものかは … 終助詞
○ものかは … なんと〜ではないか

次に、帥殿射給ふに、いみじう臆し給ひて、
次に、帥殿が射なさったが、たいそう気おくれなさって、
・次 … 名詞
・に … 格助詞
・帥殿 … 名詞
・射 … ヤ行上一段活用の動詞「射る」の連用形
・給ふ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連体形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から帥殿への敬意
・に … 接続助詞
・いみじう … 活用の形容詞「いみじ」の連用形(音便)
・臆し … サ行変格活用の動詞「臆す」の連用形
○臆す … 気おくれする
・給ひ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から帥殿への敬意
・て … 接続助詞

御手もわななくけにや、的のあたりにだに近く寄らず、
御手も震えるせいであろうか、的の付近にさえ近寄らないで、
・御手 … 名詞
・も … 係助詞
・わななく … カ行四段活用の動詞「わななく」の連体形
○わななく … ぶるぶる震える
・け … 名詞
○け … せい
・に … 断定の助動詞「なり」の連用形
・や … 係助詞
・的 … 名詞
・の … 格助詞
・あたり … 名詞
○あたり … 付近
・に … 格助詞
・だに … 副助詞
・近く … ク活用の形容詞「近し」の連用形
・寄ら … ラ行四段活用の動詞「寄る」の未然形
・ず … 打消の助動詞「ず」の連用形

無辺世界を射給へるに、関白殿、色青くなりぬ。
でたらめの方向を射なさったので、中関白殿は顔色が青くなってしまった。
・無辺世界(むへんせかい) … 名詞
○無辺世界 … でたらめの方向
・を … 格助詞
・射 … ヤ行上一段活用の動詞「射る」の連用形
・給へ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の已然形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から帥殿への敬意
・る … 完了の助動詞「り」の連体形
・に … 接続助詞
・関白殿 … 名詞
・色 … 名詞
○色 … 顔色
・青く … ク活用の形容詞「青し」の連用形
・なり … ラ行四段活用の動詞「なる」の連用形
・ぬ … 完了の助動詞「ぬ」の終止形

また入道殿射給ふとて、「摂政・関白すべきものならば、
また入道殿が射なさろうとして、「摂政・関白になるはずのものであるならば、
・また … 副詞
・入道殿(にゆうどうどの) … 名詞
・射 … ヤ行上一段活用の動詞「射る」の連用形
・給ふ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の終止形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・とて … 格助詞
・摂政 … 名詞
・関白 … 名詞
・す … サ行変格活用の動詞「す」の終止形
・べき … 当然の助動詞「べし」の連体形
・もの … 名詞
・なら … 断定の助動詞「なり」の未然形
・ば … 接続助詞

この矢当たれ。」と仰せらるるに、初めの同じやうに、
この矢当たれ。」とおっしゃられると、初めの(矢と)同じように、
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・矢 … 名詞
・当たれ … ラ行四段活用の動詞「当たる」の命令形
・と … 格助詞
・仰せ … サ行下二段活用の動詞「仰す」の未然形
仰す … 「言ふ」の尊敬語 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・らるる … 尊敬の助動詞「らる」の連体形 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・に … 接続助詞
・初め … 名詞
・の … 格助詞
・同じ … シク活用の形容詞「同じ」の連体形
・やうに … 比況の助動詞「やうなり」の連用形

的の破るばかり、同じところに射させ給ひつ。
的が壊れるほど、同じところに射当てなさいました。
・的 … 名詞
・の … 格助詞
・破(や)る … ラ行下二段活用の動詞「破る」の終止形
○破る … 壊れる
・ばかり … 副助詞
ばかり … 〜ほど
・同じ … シク活用の形容詞「同じ」の連体形
・ところ … 名詞
・に … 格助詞
・射 … ヤ行上一段活用の動詞「射る」の未然形
・させ … 尊敬の助動詞「さす」の連用形 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・給ひ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・つ … 完了の助動詞「つ」の終止形

饗応し、もてはやし聞こえさせ給ひつる興もさめて、こと苦うなりぬ。
もてなし、厚遇申し上げなさった興もさめて、気まずくなってしまった。
・饗応し … サ行変格活用の動詞「饗応す」の連用形
・もてはやし … 行四段活用の動詞「もてはやす」の連用形
○もてはやす … 厚遇する
・聞こえ … ヤ行下二段活用の動詞「聞こゆ」の未然形
聞こゆ … 謙譲の補助動詞 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・させ … 尊敬の助動詞「さす」の連用形 ⇒ 筆者から中関白殿への敬意
・給ひ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から中関白殿への敬意
・つる … 完了の助動詞「つ」の連体形
・興 … 名詞
・も … 係助詞
・さめ … マ行下二段活用の動詞「さむ」の連用形
・て … 接続助詞
・こと苦(にが)う … ク活用の形容詞「こと苦し」の連用形(音便)
○こと苦し … 気まずい
・なり … ラ行四段活用の動詞「なる」の連用形
・ぬ … 完了の助動詞「ぬ」の終止形

父大臣、帥殿に、「何か射る。な射そ、な射そ。」と
父大臣が、帥殿に、「どうして射るのか。射るな、射るな。」と
・父大臣(おとど) … 名詞
・帥殿 … 名詞
・に … 格助詞
・何 … 代名詞
・か … 係助詞
○何か … どうして〜か
・射る … ヤ行上一段活用の動詞「射る」の連体形
・な … 副詞
・射 … ヤ行上一段活用の動詞「射る」の連用形
・そ … 終助詞
な〜そ … 〜するな
・な … 副詞
・射 … ヤ行上一段活用の動詞「射る」の連用形
・そ … 終助詞
・と … 格助詞

制し給ひて、ことさめにけり。
お止めになって、しらけてしまった。
・制し … サ行変格活用の動詞「制す」の連用形
○制す … 制止する
・給ひ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から中関白殿への敬意
・て … 接続助詞
・ことさめ … マ行下二段活用の動詞「ことさむ」の連用形
○ことさむ … しらける
・に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
なぜ中関白殿は「何か射る。な射そ、な射そ。」と制したのか ⇒ すでに帥殿の負けは確定しているし、また、帥殿のふがいない姿をこれ以上見たくないから。

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