三船の才(三舟の才)・大鏡

ひととせ、入道殿の、大井川に逍遥せさせ給ひしに、
ある年、入道殿が大井川で舟遊びをなさったときに、
・一年(ひととせ) … 名詞
○一年 … ある年
・入道殿 … 名詞
○入道殿 ⇒ 藤原道長(みちなが)
・の … 格助詞
・大井川 … 名詞
・に … 格助詞
・逍遥(しようよう)せ … サ行変格活用の動詞「逍遥す」の未然形
○逍遥す … 遊覧する
・させ … 尊敬の助動詞「さす」の連用形 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・給ひ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・し … 過去の助動詞「き」の連体形
・に … 格助詞

作文の船・管絃の船・和歌の船と分かたせ給ひて、
漢詩文の舟、音楽の舟、和歌の舟とお分けになって、
・作文(さくもん) … 名詞
○作文 … 漢詩を作ること
・の … 格助詞
・船 … 名詞
・管絃(かんげん) … 名詞
・の … 格助詞
・船 … 名詞
・和歌 … 名詞
・の … 格助詞
・船 … 名詞
・と … 格助詞
・分かた … タ行四段活用の動詞「分かつ」の未然形
・せ … 尊敬の助動詞「す」の連用形 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・給ひ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・て … 接続助詞

その道に堪へたる人々を乗せさせ給ひしに、
それぞれの道に優れている人々をお乗せになったが、
・そ … 代名詞
・の … 格助詞
・道 … 名詞
・に … 格助詞
・堪(た)へ … ハ行下二段活用の動詞「堪ふ」の連用形
○堪ふ … 優れる
・たる … 存続の助動詞「たり」の連体形
・人々 … 名詞
・を … 格助詞
・乗せ … サ行下二段活用の動詞「乗す」の未然形
・させ … 尊敬の助動詞「さす」の連用形 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・給ひ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・し … 過去の助動詞「き」の連体形
・に … 接続助詞

この大納言の参り給へるを、入道殿、
この大納言が参上なさっていたので、入道殿が、
・こ … 代名詞
・の … 格助詞
・大納言 … 名詞
○大納言 ⇒ 藤原公任(きんとう)
・の … 格助詞
・参り … ラ行四段活用の動詞「参る」の連用形
参る … 参上する(謙譲語) ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・給へ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の已然形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から大納言への敬意
・る … 存続の助動詞「り」の連体形
・を … 接続助詞
・入道殿 … 名詞

「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき。」とのたまはすれば、
「あの大納言は、どの舟にお乗りになるつもりか。」とおっしゃったところ、
・か … 代名詞
・の … 格助詞
・大納言 … 名詞
・いづれ … 代名詞
・の … 格助詞
・船 … 名詞
・に … 格助詞
・か … 係助詞・疑問
・乗ら … ラ行四段活用の動詞「乗る」の未然形
・る … 尊敬の助動詞「る」の終止形 ⇒ 入道殿から大納言への敬意
・べき … 意志の助動詞「べし」の連体形(結び)
・と … 格助詞
・のたまはすれ … サ行下二段活用の動詞「のたまはす」の已然形
のたまはす … 「言ふ」の尊敬語 ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・ば … 接続助詞

「和歌の船に乗り侍らむ。」とのたまひて、詠み給へるぞかし、
「和歌の舟に乗りましょう。」とおっしゃって、お詠みになったものですよ、
・和歌 … 名詞
・の … 格助詞
・船 … 名詞
・に … 格助詞
・乗り … ラ行四段活用の動詞「乗る」の連用形
・侍(はべ)ら … ラ行変格活用の動詞「侍り」の未然形
侍り … 丁寧の補助動詞 ⇒ 大納言から入道殿への敬意
・む … 意志の助動詞「む」の終止形
・と … 格助詞
・のたまひ … ハ行四段活用の動詞「のたまふ」の連用形
のたまふ … 「言ふ」の尊敬語 ⇒ 筆者から大納言への敬意
・て … 接続助詞
・詠み … マ行四段活用の動詞「詠む」の連用形
・給へ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の已然形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から大納言への敬意
・る … 完了の助動詞「り」の連体形
・ぞ … 係助詞
・かし … 終助詞・念押し

  小倉山嵐の風の寒ければ
  小倉山や嵐山から吹き下ろす風が寒いので、
  ・小倉山(おぐらやま) … 名詞
  ・嵐 … 名詞
  ・の … 格助詞
  ・風 … 名詞
  ・の … 格助詞
  ・寒けれ … ク活用の形容詞「寒し」の已然形
  ・ば … 接続助詞

  もみぢの錦着ぬ人ぞなき
  紅葉の葉が衣に散りかかって、錦の衣を着ていない人などいないことだ。
  ・紅葉(もみじ) … 名詞
  ・の … 格助詞
  ・錦(にしき) … 名詞
  ・着 … カ行上一段活用の動詞「着る」の未然形
  ・ぬ … 打消の助動詞「ず」の連体形
  ・人 … 名詞
  ・ぞ … 係助詞・強意
  ・なき … ク活用の形容詞「なし」の連体形(結び)

申し受け給へるかひありてあそばしたりな。
申し出てお引き受けなさったかいがあって(みごとに)お詠みになったなあ。
・申し受け … カ行下二段活用の動詞「申し受く」の連用形
申し受く … 申し出て引き受ける(謙譲語) ⇒ 筆者から入道殿への敬意
・給へ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の已然形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から大納言への敬意
・る … 完了の助動詞「り」の連体形
・かひ … 名詞
・あり … ラ行変格活用の動詞「あり」の連用形
・て … 接続助詞
・あそばし … サ行四段活用の動詞「あそばす」の連用形
あそばす … お詠みになる(尊敬語) ⇒ 筆者から大納言への敬意
・たり … 完了の助動詞「たり」の終止形
・な … 終助詞・詠嘆

御みづからものたまふなるは、「作文のにぞ乗るべかりける。
ご自身でもおっしゃったということには、「漢詩文の舟に乗るべきだったよ。
・御自(みずか)ら … 名詞
・も … 係助詞
・のたまふ … ハ行四段活用の動詞「のたまふ」の終止形
のたまふ … 「言ふ」の尊敬語 ⇒ 筆者から大納言への敬意
・なる … 伝聞の助動詞「なり」の連体形
・は … 係助詞
・作文 … 名詞
・の … 格助詞
・に … 格助詞
・ぞ … 係助詞・強意
・乗る … ラ行四段活用の動詞「乗る」の終止形
・べかり … 適当の助動詞「べし」の連用形
・ける … 詠嘆の助動詞「けり」の連体形(結び)

さて、かばかりの詩をつくりたらましかば、
そして、この和歌ぐらいの漢詩を作ったとしたならば、
・さて … 副詞
・かばかり … 副詞
・の … 格助詞
・詩 … 名詞
・を … 格助詞
・作り … ラ行四段活用の動詞「作る」の未然形
・たら … 完了の助動詞「たり」の未然形
・ましか … 反実仮想の助動詞「まし」の未然形
・ば … 接続助詞
「かばかりの詩」とはどのような詩か ⇒ いま自分が詠んだ和歌に匹敵するくらいの漢詩

名の上がらむこともまさりなまし。口惜しかりけるわざかな。
名声の上がることもまさっていただろうに。残念なことをしたよ。
・名 … 名詞
・の … 格助詞
・上がら … ラ行四段活用の動詞「上がる」の未然形
・む … 婉曲の助動詞「む」の連体形
・こと … 名詞
・も … 係助詞
・まさり … ラ行四段活用の動詞「まさる」の未然形
・な … 強意の助動詞「ぬ」の未然形
・まし … 反実仮想の助動詞「まし」の終止形
AましかばBまし … AだったならばBだっただろうに
・口惜しかり … シク活用の形容詞「口惜し」の連用形
口惜し … 残念である
・ける … 詠嘆の助動詞「けり」の連体形
・わざ … 名詞
○わざ … 行為
・かな … 終助詞・詠嘆
どうして「口惜し」いのか。 ⇒ 作文の船に乗って、いま自分が詠んだ和歌に匹敵するくらいの漢詩を作って、
和歌を詠んで得た名声よりも高い名声を得るチャンスを逃したから。

さても、殿の、『いづれにかと思ふ。』とのたまはせしになむ、
それにしても、殿が、『どの舟にと思うのか。』とおっしゃったのには、
・さても … 接続詞
・殿 … 名詞
・の … 格助詞
・いづれ … 代名詞
・に … 格助詞
・か … 係助詞・疑問
・と … 格助詞
・思ふ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連体形(結び)
・と … 格助詞
・のたまはせ … サ行下二段活用の動詞「のたまはす」の連用形
のたまはす … 「言ふ」の尊敬語 ⇒ 大納言から入道殿への敬意
・し … 過去の助動詞「き」の連体形
・に … 格助詞
・なむ … 係助詞・強意

我ながら心おごりせられし。」とのたまふなる。
我ながら得意になられずにはいられなかった。」とおっしゃったそうだ。
・我 … 代名詞
・ながら … 接続助詞
・心おごりせ … サ行変格活用の動詞「心おごりす」の未然形
○心おごりす … 得意になる
・られ … 自発の助動詞「らる」の連用形
・し … 過去の助動詞「き」の連体形(結び)
・と … 格助詞
・のたまふ … ハ行四段活用の動詞「のたまふ」の終止形
のたまふ … 「言ふ」の尊敬語 ⇒ 筆者から大納言への敬意
・なる … 伝聞の助動詞「なり」の連体形

一事のすぐるだにあるに、
一つのことに優れていることでさえまれなことなのに、
・一事(ひとこと) … 名詞
・の … 格助詞
・すぐるる … ラ行下二段活用の動詞「すぐる」の連体形
・だに … 副助詞
・ある … ラ行変格活用の動詞「あり」の連体形
○だに〜あり … 〜さえ〜である
・に … 接続助詞

かくいづれの道も抜け出で給ひけむは、
このようにどの道にも抜き出ていらっしゃったということは、
・かく … 副詞
・いづれ … 代名詞
・の … 格助詞
・道 … 名詞
・も … 係助詞
・抜け出(い)で … 行下二段活用の動詞「抜け出づ」の連用形
・給ひ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の連用形
給ふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から大納言への敬意
・けむ … 過去婉曲の助動詞「けむ」の連体形
・は … 係助詞

いにしへも侍らぬことなり。
昔にもございませんことです。
・いにしへ … 名詞
・も … 係助詞
・侍ら … ラ行変格活用の動詞「侍り」の未然形
侍り … 「あり」の丁寧語 ⇒ 筆者から読者への敬意
・ぬ … 打消の助動詞「ず」の連体形
・こと … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の終止形

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