やさし蔵人 現代語訳

大納言なりける人、小侍従と聞こえし歌詠みに通はれけり。
大納言だった人が、小侍従という世間で評判だった歌人のところに通っておられた。
 なり … 断定の助動詞「なり」連用形
 ける … 過去の助動詞「けり」連体形
 聞こえ … 下二段活用動詞「聞こゆ」連用形
 し … 過去の助動詞「き」連体形
 通は … 四段活用動詞「通ふ」未然形
 れ … 尊敬の助動詞「る」連用形
 けり … 過去の助動詞「けり」終止形

ある夜、もの言ひて、暁帰られけるに、女の家の門をやり出だされけるが、
ある夜、情を通わせて、夜明け前にお帰りになった時に、女の家の門から牛車を進めて出されたが、
 もの言ひ … 四段活用動詞「もの言ふ」連用形
 帰ら … 四段活用動詞「帰る」未然形
 れ … 尊敬の助動詞「る」連用形
 ける … 過去の助動詞「けり」連体形
 やり出ださ … 四段活用動詞「やり出だす」未然形
 れ … 尊敬の助動詞「る」連用形
 ける … 過去の助動詞「けり」連体形

きと見返りたりければ、この女、名残を思ふかとおぼしくて、車寄せの簾に透きて、
さっと振り返って見たところ、この女が、名残を惜しんでいるかと思われて、車寄せの簾を透けて、
 見返り … 四段活用動詞「見返る」連用形
 たり … 完了の助動詞「たり」連用形
 けれ … 過去の助動詞「けり」已然形
 思ふ … 四段活用動詞「思ふ」連体形
 おぼしく … シク活用の形容詞「おぼし」連用形
 透き … 四段活用動詞「透く」連用形

一人残りたりけるが、心にかかりおぼえてければ、供なりける蔵人に、
一人残っていたのが、気がかりに思われたので、お供をしていた蔵人に、
 残り … 四段活用動詞「残る」連用形
 たり … 存続の助動詞「たり」連用形
 ける … 過去の助動詞「けり」連体形
 かかり … 四段活用動詞「かかる」連用形
 おぼえ … 下二段活用動詞「おぼゆ」連用形
 て … 完了の助動詞「つ」連用形
 けれ … 過去の助動詞「けり」已然形
 なり … 断定の助動詞「なり」連用形
 ける … 過去の助動詞「けり」連体形

「いまだ入りやらで見送りたるが、振り捨てがたきに、
「まだ入ってしまわないで見送っているのが、そのまま放っておきにくいので、
 入りやら … 四段活用動詞「入りやる」未然形
 見送り … 四段活用動詞「見送る」連用形
 たる … 存続の助動詞「たり」連体形
 振り捨てがたき … ク活用の形容詞「振り捨てがたし」連体形

何とまれ、言ひて来。」とのたまひければ、「ゆゆしき大事かな。」と思へども、
何でもいいから、言ってきなさい。」とおっしゃったので、「ひどく重大な事だなあ。」と思うけれども、
 何ともあれ ⇒ 何とまれ
 何(代名詞)+と(格助詞)+も(係助詞)+あれ(動詞)
 あれ … ラ行変格活用動詞「あり」命令形
 言ひ … 四段活用動詞「言ふ」連用形
 来 … カ行変格活用動詞「来」命令形
 のたまひ … 四段活用動詞「のたまふ」連用形
 けれ … 過去の助動詞「けり」已然形
 ゆゆしき … シク活用の形容詞「ゆゆし」連体形
 思へ … 四段活用動詞「思ふ」已然形

ほど経べきことならねば、やがて走り入りぬ。
時間がたってはいけないことなので、すぐに走って入った。
 経 … 下二段活用動詞「経」終止形
 べき … 適当の助動詞「べし」連体形
 なら … 断定の助動詞「なり」未然形
 ね … 打消の助動詞「ず」已然形
 走り入り … 四段活用動詞「走り入る」連用形
 ぬ … 完了の助動詞「ぬ」終止形

車寄せの縁のきはにかしこまりて、「申せと候ふ。」とは、さうなく言ひ出でたれど、
車寄せの縁の端に慎んで座って、「申し上げよとのことです。」とは、造作なく言い出したけれど、
 かしこまり … 四段活用動詞「かしこまる」連用形
 申せ … 四段活用動詞「申す」命令形
 候ふ … 四段活用動詞「候ふ」終止形
 さうなく … ク活用の形容詞「さうなし」連用形
 言ひ出で … 下二段活用動詞「言ひ出づ」連用形
 たれ … 完了の助動詞「たり」已然形

何と言ふべき言の葉もおぼえぬに、折しも、ゆふつけ鳥、声々に鳴き出でたりけるに、
何も言うのに適当な言葉が思い浮かばなかったが、ちょうどその時、にわとりが、声々に鳴き出したところ、
 言ふ … 四段活用動詞「言ふ」終止形
 べき … 適当の助動詞「べし」連体形
 おぼえ … 下二段活用動詞「おぼゆ」未然形
 ぬ … 打消の助動詞「ず」連体形
 鳴き出で … 下二段活用動詞「鳴き出づ」連用形
 たり … 完了の助動詞「たり」連用形
 ける … 過去の助動詞「けり」連体形

「飽かぬ別れの」と言ひけることの、きと思ひ出でられければ、
「飽かぬ別れの」と詠んでいたことが、さっと思い出されたので、
 飽か … 四段活用動詞「飽く」未然形
 ぬ … 打消の助動詞「ず」連体形
 言ひ … 四段活用動詞「言ふ」連用形
 ける … 過去の助動詞「けり」連体形
 思ひ出で … 下二段活用動詞「思ひ出づ」未然形
 られ … 自発の助動詞「らる」連用形
 けれ … 過去の助動詞「けり」已然形

  ものかはと君が言ひけん鳥の音の今朝しもなどかかなしかるらん
  問題ではないとあなたが詠んだ鳥の声が今朝はどうして悲しいのでしょうか
   言ひ … 四段活用動詞「言ふ」連用形
   けん … 過去伝聞の助動詞「けん」連体形
   かなしかる … シク活用の形容詞「かなし」連体形
   らん … 原因推量の助動詞「らん」連体形

とばかり言ひかけて、やがて走りつきて、車の尻に乗りぬ。
とだけ詠みかけて、すぐに走って追いついて、牛車の後ろに乗った。
 言ひかけ … 下二段活用動詞「言ひかく」連用形
 走りつき … 四段活用動詞「走りつく」連用形
 乗り … 四段活用動詞「乗る」連用形
 ぬ … 完了の助動詞「ぬ」終止形

家に帰りて、中門に降りてのち、「さても、何とか言ひたりつる。」と問ひ給ひければ、
家に帰って、中門で降りた後で、「ところで、何と言ったのか。」とお尋ねになったので、
 帰り … 四段活用動詞「帰る」連用形
 降り … 上二段活用の動詞「降る」連用形
 言ひ … 四段活用動詞「言ふ」連用形
 たり … 完了の助動詞「たり」連用形
 つる … 完了の助動詞「つ」連体形
 問ひ … 四段活用動詞「問ふ」連用形
 給ひ … 尊敬の四段活用の補助動詞「給ふ」連用形
 けれ … 過去の助動詞「けり」已然形

「かくこそ。」と申しければ、いみじくめでたがられけり。
「このように。」と申し上げたところ、たいそう感心なさった。
 申し … 四段活用動詞「申す」連用形
 けれ … 過去の助動詞「けり」已然形
 いみじく … シク活用の形容詞「いみじ」連用形
 めでたがら … 四段活用動詞「めでたがる」未然形
 れ … 尊敬の助動詞「る」連用形
 けり … 過去の助動詞「けり」終止形

「さればこそ、使ひにははからひつれ。」とて、
「だからこそ、使いとして取り扱ったのだ。」と言って、
 はからひ … 四段活用動詞「はからふ」連用形
 つれ … 完了の助動詞「つ」已然形

感のあまりに、しる所など給びたりけるとなん。
感動のあまりに、領有する土地などをお与になったということだ。
 しる … 四段活用動詞「しる」連体形
 給び … 四段活用動詞「給ぶ」連用形
 たり … 完了の助動詞「たり」連用形
 ける … 過去の助動詞「けり」連体形

この蔵人は内裏の六位など経て、やさし蔵人と言はれける者なりけり。
この蔵人は内裏の六位などを経て、やさし蔵人と言われた者だった。
 経 … 下二段活用動詞「経」連用形
 言は … 四段活用動詞「言ふ」未然形
 れ … 受身の助動詞「る」連用形
 ける … 過去の助動詞「けり」連体形
 なり … 断定の助動詞「なり」連用形
 けり … 過去の助動詞「けり」終止形

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