芥川・伊勢物語

昔、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、
昔、男がいた。手に入れることができそうもなかった女を、
・ あり … ラ行変格活用の動詞「あり」の連用形
・ けり … 過去の助動詞「けり」の終止形
・ え(~打消) … ~できない
・ 得 … ア行下二段活用の動詞「得(う)」の終止形
・ まじかり … 打消推量の助動詞「まじ」の連用形
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形

年を経てよばひわたりけるを、
幾年にもわたって求婚し続けてきたが、
・ 経 … ハ行下二段活用の動詞「経(ふ)」の連用形
・ よばひわたり … ラ行四段活用の動詞「よばひわたる」の連用形
・ よばふ … 求婚する
・ ~わたる … ずっと~する
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形

からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。
やっとのことで盗み出して、ひどく暗い夜に連れてきた。
・ 盗み出で … ダ行下二段活用の動詞「盗み出づ」の連用形
・ いと … たいそう
・ 暗き … ク活用の形容詞「暗し」の連体形
・ 来 … カ行変格活用の動詞「来(く)」の連用形
・ けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

芥川といふ川を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、
芥川という川のほとりを連れて行ったところ、草の上に降りていた露を、
・ いふ … ハ行四段活用の動詞「いふ」の連体形
・ 率 … ワ行上一段活用の動詞「率る」の連用形
・ 率る … 引き連れる
・ 行き … カ行四段活用の動詞「行く」の連用形
・ けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ 置き … カ行四段活用の動詞「置く」の連用形
・ たり … 存続の助動詞「たり」の連用形
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形

「かれは何ぞ。」となむ男に問ひける。
「あれは何ですか。」と男に尋ねた。
・ なむ … 係助詞・強調
・ 問ひ … ハ行四段活用の動詞「問ふ」の連用形
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形(結び)

行く先多く、夜も更けにければ、鬼ある所とも知らで、
行く先は遠く、夜も更けてしまったので、鬼がいる所とも知らないで、
・ 多く … ク活用の形容詞「多し」の連用形
・ 更け … カ行下二段活用の動詞「更く」の連用形
・ に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
・ けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ ある … ラ行変格活用の動詞「あり」の連体形
・ 知ら … ラ行四段活用の動詞「知る」の未然形

神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、
その上雷までもたいそうひどく鳴り、雨も激しく降ってきたので、
・ いみじう … シク活用の形容詞「いみじ」の連用形(音便)
・ いみじ … はなはだしい
・ 鳴り … ラ行四段活用の動詞「鳴る」の連用形
・ いたう … ク活用の形容詞「いたし」の連用形(音便)
・ いたし … はなはだしい
・ 降り … ラ行四段活用の動詞「降る」の連用形
・ けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形

あばらなる蔵に、女をば奥に押し入れて、
荒れはてた蔵に、女を奥の方に押し込んで、
・ あばらなる … ナリ活用の形容動詞「あばらなり」の連体形
・ 押し入れ … ラ行下二段活用の動詞「押し入る」の連用形

男、弓・胡簶を負ひて戸口にをり、
男は、弓を持ち、胡簶を背負って戸口にいて、
・ 負ひ … ハ行四段活用の動詞「負ふ」の連用形
・ をり … ラ行変格活用の動詞「をり」の連用形

はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、
早く夜が明けてほしいと思いながら座っていたところ、
・ はや(副詞) … 早く
・ 明け … カ行下二段活用の動詞「明く」の未然形
・ なむ(終助詞・願望) … ~てほしい
・ 思ひ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連用形
・ ゐ … ワ行上一段活用の動詞「ゐる」の連用形
・ たり … 存続の助動詞「たり」の連用形
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形

鬼はや一口に食ひてけり。
鬼がたちまち一口で食ってしまった。
・ 食ひ … ハ行四段活用の動詞「食ふ」の連用形
・  … 完了の助動詞「つ」の連用形
・ けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

「あなや。」と言ひけれど、神鳴る騒ぎにえ聞かざりけり。
「あれっ。」と叫んだけれども、雷が鳴るさわがしさで聞くことができなかった。
・ 言ひ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連用形
・ けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ 鳴る … ラ行四段活用の動詞「鳴る」の連体形
 え(~打消) … ~できない
・ 聞か … カ行四段活用の動詞「聞く」の未然形
・ ざり … 打消の助動詞「ず」の連用形
・ けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来こし女もなし。
ようやく夜も明けてきたので、見ると、連れてきた女がいない。
・ やうやう … ようやく
・ 明けゆく … カ行四段活用の動詞「明けゆく」の連体形
・ 見れ … マ行上一段活用の動詞「見る」の已然形
・ 率て来 … カ行変格活用の動詞「率て来」の連用形
・ 率て来 … 連れてくる
・ し … 過去の助動詞「き」の連体形
・ なし … ク活用の形容詞「なし」の終止形

足ずりをして泣けどもかひなし。
地だんだを踏んで泣いたが、どうしようもない。
・ し … サ行変格活用の動詞「す」の連用形
・ 泣け … カ行四段活用の動詞「泣く」の已然形
・ かひなし … ク活用の形容詞「かひなし」の終止形
・ かひなし … 効果がない

  白玉か何ぞと人の問ひし時
  あれは白玉ですか何ですかとあの人が尋ねた時に、
  ・ 問ひ … ハ行四段活用の動詞「問ふ」の連用形
  ・ し … 過去の助動詞「き」の連体形

  露と答へて消えなましものを
  あれは露ですと答えて消えてしまったらよかったのに。
  ・ 答へ … ハ行下二段活用の動詞「答ふ」の連用形
  ・ な … 完了の助動詞「ぬ」の未然形
  ・ まし … 反実仮想の助動詞「まし」の連体形
  ・ ものを … 接続助詞・逆接 ⇒ 「終助詞・詠嘆」とする説もある

これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、
これは、二条の后が、いとこの女御のお側に、

仕うまつるやうにてゐたまへりけるを、
お仕えするようにしておいでになっていたが、
・ 仕うまつる … ラ行四段活用の動詞「仕うまつる」の連体形
・ 仕うまつる … 「仕ふ」の謙譲語 ⇒ 筆者から女御への敬意
・ ゐ … ワ行上一段活用の動詞「ゐる」の連用形
・ たまへ … ハ行四段活用の動詞「たまふ」の命令形
・ たまふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から二条の后への敬意
・ り … 存続の助動詞「り」の連用形
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形

かたちのいとめでたくおはしければ、
容貌がたいそうすぐれていらっしゃったので、
・ めでたく … ク活用の形容詞「めでたし」の連用形
・ めでたし … すばらしい
・ おはし … サ行四段活用の動詞「おはす」の連用形
・ おはす … 「あり」の尊敬語 ⇒ 筆者から二条の后への敬意
・ けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形

盗みて負ひて出でたりけるを、御兄堀河の大臣、太郎国経の大納言、
盗んで背負って出て行ったのだが、兄君の堀河の大臣、長男の国経の大納言が、
・ 盗み … マ行四段活用の動詞「盗む」の連用形
・ 負ひ … ハ行四段活用の動詞「負ふ」の連用形
・ 出で … ダ行下二段活用の動詞「出づ」の連用形
・ たり … 完了の助動詞「たり」の連用形
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形

まだ下﨟にて内裏へ参りたまふに、
まだ官位の低い者であって宮中へ参上なさる時に、
・ に … 断定の助動詞「なり」の連用形
・ 参り … ラ行四段活用の動詞「参る」の連用形
・ 参る … 「行く」の謙譲語 ⇒ 筆者から帝への敬意
・ たまふ … ハ行四段活用の動詞「たまふ」の連体形
・ たまふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から堀河大臣・国経大納言への敬意

いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめて取り返したまうてけり。
ひどく泣く人がいるのを聞きつけて、引き留めて取り返しなさった。
・ いみじう … シク活用の形容詞「いみじ」の連用形(音便)
・ 泣く … カ行四段活用の動詞「泣く」の連体形
・ ある … ラ行変格活用の動詞「あり」の連体形
・ 聞きつけ … カ行下二段活用の動詞「聞きつく」の連用形
・ とどめ … マ行下二段活用の動詞「とどむ」の連用形
・ 取り返し … サ行四段活用の動詞「取り返す」の連用形
・ たまう … ハ行四段活用の動詞「たまふ」の連用形(音便)
・ たまふ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 筆者から堀河大臣・国経大納言への敬意
・  … 完了の助動詞「つ」の連用形
・ けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

それを、かく鬼とは言ふなりけり。
それを、このように鬼と言ったのだ。
・ 言ふ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連体形
・ なり … 断定の助動詞「なり」の連用形
・ けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

まだいと若うて、后のただにおはしける時とや。
まだとても若くて、后が普通の身分でいらっしゃった時のこととか。
・ 若う … ク活用の形容詞「若し」の連用形(音便)
・ ただに … ナリ活用の形容動詞「ただなり」の連用形
・ ただなり … 普通である
・ おはし … サ行四段活用の動詞「おはす」の連用形
・ おはす … 「あり」の尊敬語 ⇒ 筆者から二条の后への敬意
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形

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