刑部卿敦兼の北の方・古今著聞集

刑部卿敦兼は、みめのよに憎さげなる人なりけり。
刑部省長官敦兼は、容貌がとても醜い感じの人だった。
・刑部卿敦兼(ぎようぶきようあつかね) … 名詞
・は … 係助詞
・みめ … 名詞
○みめ … 容貌
・の … 格助詞
・よに … 副詞
よに … 非常に
・憎さげなる … ナリ活用の形容動詞「憎さげなり」の連体形
○憎さげなり … 醜い感じである
・人 … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

その北の方は、はなやかなる人なりけるが、
その夫人は、明るい感じで美しい人だったが、
・そ … 代名詞
・の … 格助詞
・北の方 … 名詞
・は … 係助詞
・はなやかなる … ナリ活用の形容動詞「はなやかなり」の連体形
○はなやかなり … 明るい感じで美しい
・人 … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・が … 接続助詞

五節を見はべりけるに、
宮中の五節の行事を見ましたときに、
・五節(ごせち) … 名詞
・を … 格助詞
・見 … マ行上一段活用の動詞「見る」の連用形
・はべり … ラ行変格活用の動詞「はべり」の連用形
はべり … 丁寧の補助動詞 ⇒ 筆者から読者への敬意
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・に … 格助詞

とりどりにはなやかなる人々のあるを見るにつけても、
さまざまに明るい感じで美しい人々がいるのを見るにつけても、
・とりどりに … ナリ活用の形容動詞「とりどりなり」の連用形
○とりどりなり … それぞれ違っているさま
・はなやかなる … ナリ活用の形容動詞「はなやかなり」の連体形
・人々 … 名詞
・の … 格助詞
・ある … ラ行変格活用の動詞「あり」の連体形
・を … 格助詞
・見る … マ行上一段活用の動詞「見る」の連体形
・に … 格助詞
・つけ … カ行下二段活用の動詞「つく」の連用形
・て … 接続助詞
・も … 係助詞

まづわが男のわろさ心憂くおぼえけり。
まっ先に自分の夫の美しくなさが情けなく思われた。
・まづ … 副詞
・わ … 代名詞
・が … 格助詞
・男 … 名詞
・の … 格助詞
・わろさ … 名詞
○わろさ … 美しくなさ
・心憂く … ク活用の形容詞「心憂し」の連用形
心憂し … 嘆かわしい
・おぼえ … ヤ行下二段活用の動詞「おぼゆ」の連用形
おぼゆ … 感じられる
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

家に帰りて、すべてものをだにも言はず、
家に帰って、まったく言葉さえも交わさず、
・家 … 名詞
・に … 格助詞
・帰り … ラ行四段活用の動詞「帰る」の連用形
・て … 接続助詞
・すべて … 副詞
○すべて(~打消) … まったく(~ない)
・もの … 名詞
・を … 格助詞
・だに … 副助詞
・も … 係助詞
・言は … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の未然形
・ず … 打消の助動詞「ず」の連用形

目をも見合はせず、うち側向きてあれば、しばしは、
目も見合わせず、そっぽを向いているので、しばらくは、
・目 … 名詞
・を … 格助詞
・も … 係助詞
・見合はせ … サ行下二段活用の動詞「見合はす」の未然形
・ず … 打消の助動詞「ず」の連用形
・うち側向(そばむ)き … カ行四段活用の動詞「うち側向く」の連用形
○うち側向く … 横を向く
・て … 接続助詞
・あれ … ラ行変格活用の動詞「あり」の已然形
・ば … 接続助詞
・しばし … 副詞
・は … 係助詞

何事の出で来たるぞやと、心も得ず思ひゐたるに、
何事が生じたのかと、わけもわからないで思っていたが、
・何事 … 名詞
・の … 格助詞
・出で来 … カ行変格活用の動詞「出で来」の連用形
○出で来 … 発生する
・たる … 完了の助動詞「たり」の連体形
・ぞ … 係助詞
・や … 係助詞・疑問
・と … 格助詞
・心 … 名詞
・も … 係助詞
・得 … ア行下二段活用の動詞「得」の未然形
○心得 … 理解できる
・ず … 打消の助動詞「ず」の連用形
・思ひゐ … ワ行上一段活用の動詞「思ひゐる」の連用形
~ゐる … ずっと~ている
・たる … 存続の助動詞「たり」の連体形
・に … 接続助詞

しだいに厭ひまさりて、かたはらいたきほどなり。
しだいに嫌がる気持ちが強くなって、気の毒なほどである。
・しだいに … 副詞
・厭(いと)ひ … 名詞
○厭ひ … いやがる気持ち
・まさり … ラ行四段活用の動詞「まさる」の連用形
○まさる … 強まる
・て … 接続助詞
・かたはらいたき … ク活用の形容詞「かたはらいたし」の連体形
かたはらいたし … 見ているのがつらい
・ほど … 名詞
・なり … 断定の助動詞「なり」の終止形

先々のやうに一所にもゐず、方を変へて住みはべりけり。
以前のように同じ所にもいないで、居室を変えて住んでいました。
・先々 … 名詞
・の … 格助詞
・やうに … 比況の助動詞「やうなり」の連用形
・一所(ひとところ) … 名詞
○一所 … 同じ場所
・に … 格助詞
・も … 係助詞
・ゐ … ワ行上一段活用の動詞「ゐる」の未然形
・ず … 打消の助動詞「ず」の連用形
・方(かた) … 名詞
 … 場所
・を … 格助詞
・変へ … ハ行下二段活用の動詞「変ふ」の連用形
・て … 接続助詞
・住み … マ行四段活用の動詞「住む」の連用形
・はべり … ラ行変格活用の動詞「はべり」の連用形
はべり … 丁寧の補助動詞 ⇒ 筆者から読者への敬意
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

ある日、刑部卿出仕して、夜に入りて帰りたりけるに、
ある日、刑部卿が勤めに出て、夜になって帰ってきたところ、
・ある … 連体詞
・日 … 名詞
・刑部卿 … 名詞
・出仕し … サ行変格活用の動詞「出仕す」の連用形
○出仕す … 勤めに出る
・て … 接続助詞
・夜 … 名詞
・に … 格助詞
・入り … ラ行四段活用の動詞「入る」の連用形
・て … 接続助詞
・帰り … ラ行四段活用の動詞「帰る」の連用形
・たり … 完了の助動詞「たり」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・に … 接続助詞

出居に火をだにも灯さず、
出居に明かりさえもつけず、
・出居(いでい) … 名詞
○出居 … 主人の居間と客間を兼ねた部屋
・に … 格助詞
・火 … 名詞
○火 … 灯火
・を … 格助詞
・だに … 副助詞
・も … 係助詞
・灯(とも)さ … サ行四段活用の動詞「灯す」の未然形
・ず … 打消の助動詞「ず」の連用形

装束は脱ぎたれども、畳む人もなかりけり。
衣服は脱いだけれども、たたむ人もいなかった。
・装束(そうぞく) … 名詞
○装束 … 衣服
・は … 係助詞
・脱ぎ … ガ行四段活用の動詞「脱ぐ」の連用形
・たれ … 完了の助動詞「たり」の已然形
・ども … 接続助詞
・畳む … マ行四段活用の動詞「畳む」の連体形
・人 … 名詞
・も … 係助詞
・なかり … ク活用の形容詞「なし」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

女房どもも、みな御前の目引きに従ひて、
女房たちも、みな夫人の目くばせに従って、
・女房ども … 名詞
・も … 係助詞
・みな … 名詞
・御前(ごぜん) … 名詞
・の … 格助詞
・目引(まび)き … 名詞
○目引き … 目くばせ
・に … 格助詞
・従ひ … ハ行四段活用の動詞「従ふ」の連用形
・て … 接続助詞

さし出づる人もなかりければ、せん方なくて、
出てくる人もいなかったので、しかたがなくて、
・さし出づる … ダ行下二段活用の動詞「さし出づ」の連体形
○さし出づ … 外に姿を現す
・人 … 名詞
・も … 係助詞
・なかり … ク活用の形容詞「なし」の連用形
・けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ば … 接続助詞
・せ … サ行変格活用の動詞「す」の未然形
・ん … 可能の助動詞「ん」の連体形
・方 … 名詞
・なく … ク活用の形容詞「なし」の連用形
○せん方なし … どうしようもない
・て … 接続助詞

車寄せの妻戸を押し開けて、ひとりながめゐたるに、
車寄せの妻戸を押し開けて、ひとり物思いにふけっていたが、
・車寄せ … 名詞
○車寄せ … 牛車に乗り降りする出入り口
・の … 格助詞
・妻戸(つまど) … 名詞
○妻戸 … 建物の四隅の両開きの戸
・を … 格助詞
・押し開け … カ行下二段活用の動詞「押し開く」の連用形
・て … 接続助詞
・ひとり … 名詞
・ながめゐ … ワ行上一段活用の補助動詞「ながめゐる」の連用形
ながむ … 物思いにふけってぼんやり見つめる
・たる … 存続の助動詞「たり」の連体形
・に … 接続助詞

更闌け、夜静かにて、月の光、風の音、
夜も更け、夜は静まって、月の光、風の音、
・更(こう) … 名詞
・闌(た)け … カ行下二段活用の動詞「闌く」の連用形
○更闌く … 夜が更ける
・夜 … 名詞
・静かに … ナリ活用の形容動詞「静かなり」の連用形
・て … 接続助詞
・月 … 名詞
・の … 格助詞
・光 … 名詞
・風 … 名詞
・の … 格助詞
・音 … 名詞

ものごとに身にしみわたりて、
すべてのものが心の底まで深くしみ通って、
・ものごと … 名詞
・に … 格助詞
・身 … 名詞
・に … 格助詞
・しみわたり … ラ行四段活用の動詞「しみわたる」の連用形
○身にしむ … 体の内部まで深くしみ通る
~わたる … 広く~する
・て … 接続助詞

人の恨めしさも取り添へておぼえけるままに、心を澄まして、
夫人への恨めしさも加わって感じられるままに、心を澄ませて、
・人 … 名詞
・の … 格助詞
・恨めしさ … 名詞
・も … 係助詞
・取り添へ … ハ行下二段活用の動詞「取り添ふ」の連用形
・て … 接続助詞
・おぼえ … ヤ行下二段活用の動詞「おぼゆ」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・まま … 名詞
・に … 格助詞
・心 … 名詞
・を … 格助詞
・澄まし … サ行四段活用の動詞「澄ます」の連用形
・て … 接続助詞

篳篥を取り出でて、時の音に取り澄まして、
篳篥を取り出して、時季に合った調子に澄んだ音色で吹いて、
・篳篥(ひちりき) … 名詞
・を … 格助詞
・取り出で … ダ行下二段活用の動詞「取り出づ」の連用形
・て … 接続助詞
・時 … 名詞
・の … 格助詞
・音(ね) … 名詞
○時の音 … 四季にふさわしい調子
・に … 格助詞
・取り澄まし … サ行四段活用の動詞「取り澄ます」の連用形
・て … 接続助詞

籬の内なるしら菊も
垣根の中にある白菊も
・籬(ませ) … 名詞
○籬 … 目の粗い垣根
・の … 格助詞
・内 … 名詞
・なる … 存在の助動詞「なり」の連体形
・しら菊 … 名詞
・も … 係助詞

うつろふ見るこそあはれなれ
色あせるのを見るのは悲しいものだ。
・うつろふ … ハ行四段活用の動詞「うつろふ」の連体形
うつろふ … 花の容色が衰える
・見る … マ行上一段活用の動詞「見る」の連体形
・こそ … 係助詞・強調
・あはれなれ … ナリ活用の形容動詞「あはれなり」の已然形(結び)
あはれなり … 悲しい

我らが通ひて見し人も
私めが通って連れ添った人も
・我ら … 代名詞
○ら … 接尾語、謙譲の意を添える
・が … 格助詞
・通ひ … ハ行四段活用の動詞「通ふ」の連用形
・て … 接続助詞
・見 … マ行上一段活用の動詞「見る」の連用形
○見る … 結婚する
・し … 過去の助動詞「き」の連体形
・人 … 名詞
・も … 係助詞

かくしつつこそかれにしか
連れ添っているけれども心が離れてしまったよ。
・かく … 副詞
・し … サ行変格活用の動詞「す」の連用形
・つつ … 接続助詞・逆接
・こそ … 係助詞・強調
・かれ … ラ行下二段活用の動詞「かる」の連用形
かる ⇒ 「枯る」と「離る」の掛詞
・に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
・しか … 過去の助動詞「き」の已然形(結び)

と、繰り返しうたひけるを、
と、繰り返し歌ったのを、
・と … 格助詞
・繰り返し … サ行四段活用の動詞「繰り返す」の連用形
・うたひ … ハ行四段活用の動詞「うたふ」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・を … 格助詞

北の方き聞きて、心はや直りにけり。
夫人が聞いて、夫を嫌う気持ちがすぐにおさまった。
・北の方 … 名詞
・聞き … カ行四段活用の動詞「聞く」の連用形
・て … 接続助詞
・心 … 名詞
・はや … 副詞
○はや … 早くも
・直り … ラ行四段活用の動詞「直る」の連用形
○直る … もとの正常な状態に戻る
・に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
・けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

それよりことに仲らひめでたくなりにけるとかや。
それからは格別に夫婦仲が円満になったとかいうことだ。
・それ … 代名詞
・より … 格助詞
・ことに … 副詞
○ことに … 格別に
・仲らひ … 名詞
○仲らひ … 人間関係
・めでたく … ク活用の形容詞「めでたし」の連用形
めでたし … すばらしい
・なり … ラ行四段活用の動詞「なる」の連用形
・に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
・ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・と … 格助詞
・か … 係助詞
・や … 間投助詞

優なる北の方の心なるべし。
優しい夫人の心なのだろう。
・優なる … ナリ活用の形容動詞「優なり」の連体形
優なり … 心が優しい
・北の方 … 名詞
・の … 格助詞
・心 … 名詞
・なる … 断定の助動詞「なり」の連体形
・べし … 推量の助動詞「べし」の終止形

error: Content is protected !!