姨捨・大和物語

信濃国に更級といふ所に、男住みけり。
信濃国にある更級という所に、男が住んでいた。
・ 信濃の国 … 名詞
・ に … 格助詞
・ 更級 … 名詞
・ と … 格助詞
・ いふ … ハ行四段活用の動詞「いふ」の連体形
・ 所 … 名詞
・ に … 格助詞
・ 男 … 名詞
・ 住み … マ行四段活用の動詞「住む」の連用形
・ けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

若き時に親は死にければ、をばなむ親のごとくに、若くより添ひてあるに、
若い時に親は死んだので、おばが親のように、若い時からそばについていたが、
・ 若き … ク活用の形容詞「若し」の連体形
・ とき … 名詞
・ に … 格助詞
・ 親 … 名詞
・ は … 係助詞
・ 死に … ナ行変格活用の動詞「死ぬ」の連用形
・ けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ ば … 接続助詞
・ をば … 名詞
・ なむ … 係助詞
・ 親 … 名詞
・ の … 格助詞
・ ごとく … 比況の助動詞「ごとし」の連用形
・ に … 断定の助動詞「なり」の連用形
・ 若く … ク活用の形容詞「若し」の連用形
・ より … 格助詞
・ あひ添ひ … ハ行四段活用の動詞「あひ添ふ」の連用形
・ て … 接続助詞
・ ある … ラ行変格活用の動詞「あり」の連体形
・ に … 接続助詞

この妻の心、憂きこと多くて、
この男の妻の心は、わずらわしいことが多くて、
・ こ … 代名詞
・ の … 格助詞
・ 妻 … 名詞
・ の … 格助詞
・ 心 … 名詞
・ 憂き … ク活用の形容詞「憂し」の連体形
・ こと … 名詞
・ 多く … ク活用の形容詞「多し」の連用形
・ て … 接続助詞

この姑の老いかがまりてゐたるを常に憎みつつ、
この姑が年老いて腰が曲がっているのを、いつも憎んでは、
・ こ … 代名詞
・ の … 格助詞
・ 姑 … 名詞
・ の … 格助詞
・ 老いかがまり … ラ行四段活用の動詞「老いかがまる」の連用形
・ て … 接続助詞
・ ゐ … ワ行上一段活用の動詞「ゐる」の連用形
・ たる … 存続の助動詞「たり」の連体形
・ を … 格助詞
・ 常に … 副詞
・ 憎み … マ行四段活用の動詞「憎む」の連用形
・ つつ … 接続助詞

男にも、このをばの御心のさがなく悪しきことを言ひ聞かせければ、
男にも、このおばの御心が意地悪でよくないことを言い聞かせたので、
・ 男 … 名詞
・ に … 格助詞
・ も … 係助詞
・ こ … 代名詞
・ の … 格助詞
・ をば … 名詞
・ の … 格助詞
・ 御心 … 名詞
・ の … 格助詞
・ さがなく … ク活用の形容詞「さがなし」の連用形
・ あしき … ク活用の形容詞「あし」の連体形
・ こと … 名詞
・ を … 格助詞
・ 言ひ聞かせ … サ行下二段活用の動詞「言ひ聞かす」の連用形
・ けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ ば … 接続助詞

昔のごとくにもあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。
昔のとおりでもなく、このおばに対して、おろそかに扱うことが多くなっていった。
・ 昔 … 名詞
・ の … 格助詞
・ ごとく … 比況の助動詞「ごとし」の連用形
・ に … 断定の助動詞「なり」の連用形
・ も … 係助詞
・ あら … ラ行変格活用の補助動詞「あり」の未然形
・ ず … 打消の助動詞「ず」の連用形
・ おろかなる … ナリ活用の形容動詞「おろかなり」の連体形
・ こと … 名詞
・ 多く … ク活用の形容詞「多し」の連用形
・ こ … 代名詞
・ の … 格助詞
・ をば … 名詞
・ の … 格助詞
・ ため … 名詞
・ に … 格助詞
・ なりゆき … カ行四段活用の動詞「なりゆく」の連用形
・ けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

このをば、いといたう老いて、二重にてゐたり。
このおばは、たいそうひどく年老いて、腰が折れ曲がっていた。
・ こ … 代名詞
・ の … 格助詞
・ をば … 名詞
・ いと … 副詞
・ いたう … ク活用の形容詞「いたし」の連用形(音便)
・ 老い … ヤ行四段活用の動詞「老ゆ」の連用形
・ て … 接続助詞
・ 二重 … 名詞
・ に … 断定の助動詞「なり」の連用形
・ て … 接続助詞
・ ゐ … ワ行四段活用の動詞「ゐる」の連用形
・ たり … 存続の助動詞「たり」の終止形

これをなほ、この嫁、所狭がりて、今まで死なぬことと思ひて、
これをやはり、この嫁は、窮屈に感じて、今まで死なずにいることよと思って、
・ これ … 代名詞
・ を … 格助詞
・ なほ … 副詞
・ こ … 代名詞
・ の … 格助詞
・ 嫁 … 名詞
・ 所狭がり … ラ行四段活用の動詞「所狭がる」の連用形
・ て … 接続助詞
・ 今 … 名詞
・ まで … 副助詞
・ 死な … ナ行変格活用の動詞「死ぬ」の未然形
・ ぬ … 打消の助動詞「ず」の連体形
・ こと … 名詞
・ と … 格助詞
・ 思ひ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連用形
・ て … 接続助詞

よからぬことを言ひつつ、
よくないことを告げ口しながら、
・ よから … ク活用の形容詞「よし」の未然形
・ ぬ … 打消の助動詞「ず」の連体形
・ こと … 名詞
・ を … 格助詞
・ 言ひ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連用形
・ つつ … 接続助詞

「持ていまして、深き山に捨て給びてよ。」とのみ責めければ、
「連れていらっしゃって、深い山にお捨てになってくださいよ。」とばかり責めたので、
○ 持て ⇒ 「持ちて」の変化した形
・ 持ち … タ行四段活用の動詞「持つ」の連用形
・ て … 接続助詞
・ いまし … サ行四段活用の動詞「います」の連用形
・ います … 「行く」の尊敬語 ⇒ 嫁から男への敬意
・ て … 接続助詞
・ 深き … ク活用の形容詞「深し」の連体形
・ 山 … 名詞
・ に … 格助詞
・ 捨て … タ行下二段活用の動詞「捨つ」の連用形
・ 給び … バ行四段活用の動詞「給ぶ」の連用形
・ 給ぶ … 尊敬の補助動詞 ⇒ 嫁から男への敬意
・ てよ … 完了の助動詞「つ」の命令形
・ と … 格助詞
・ のみ … 副助詞
・ 責め … マ行下二段活用の動詞「責む」の連用形
・ けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ ば … 接続助詞

責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。
責めたてられて困って、そうしてしまおうと思うようになった。
・ 責め … マ行下二段活用の動詞「責む」の未然形
・ られ … 受身の助動詞「らる」の連用形
・ わび … バ行上二段活用の動詞「わぶ」の連用形
・ て … 接続助詞
・ さ … 副詞
・ し … サ行変格活用の動詞「す」の連用形
・ て … 強意の助動詞「つ」の未然形
・ む … 意志の助動詞「む」の終止形
・ と … 格助詞
・ 思ひなり … ラ行四段活用の動詞「思ひなる」の連用形
・ ぬ … 完了の助動詞「ぬ」の終止形

月のいと明かき夜、「嫗ども、いざ給へ。
月がとても明るい夜、「おばあさんよ、さあいらっしゃい。
・ 月 … 名詞
・ の … 格助詞
・ いと … 副詞
・ 明かき … ク活用の形容詞「明かし」の連体形
・ 夜 … 名詞
・ 嫗ども … 名詞
・ ども(接尾語)
・ いざ … 感動詞
・ 給へ … ハ行四段活用の動詞「給ふ」の命令形
・ 給ふ … 軽い敬意を込めて誘う ⇒ 男からおばへの敬意

寺に尊きわざすなる、見せ奉らむ。」と言ひければ、
寺でありがたい法会をするということです、お見せいたしましょう。」と言ったので、
・ 寺 … 名詞
・ に … 格助詞
・ 尊き … ク活用の形容詞「尊し」の連体形
・ わざ … 名詞
・ す … サ行変格活用の動詞「す」の終止形
・ なる … 伝聞の助動詞「なり」の連体形
・ 見せ … サ行下二段活用の動詞「見す」の連用形
・ 奉ら … ラ行四段活用の動詞「奉る」の未然形
・ 奉る … 謙譲の補助動詞 ⇒ 男からおばへの敬意
・ む … 意志の助動詞「む」の終止形
・ と … 格助詞
・ 言ひ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の連用形
・ けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ ば … 接続助詞

限りなく喜びて負はれにけり。
この上なく喜んで背負われた。
・ 限りなく … ク活用の形容詞「限りなし」の連用形
・ 喜び … バ行四段活用の動詞「喜ぶ」の連用形
・ て … 接続助詞
・ 負は … ハ行四段活用の動詞「負ふ」の未然形
・ れ … 受身の助動詞「る」の連用形
・ に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
・ けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

高き山の麓に住みければ、その山にはるばると入りて、
高い山の麓に住んでいたので、その山にはるばると入って、
・ 高き … ク活用の形容詞「高し」の連体形
・ 山 … 名詞
・ の … 格助詞
・ 麓 … 名詞
・ に … 格助詞
・ 住み … マ行四段活用の動詞「住む」の連用形
・ けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ ば … 接続助詞
・ そ … 代名詞
・ の … 格助詞
・ 山 … 名詞
・ に … 格助詞
・ はるばると … 副詞
・ 入り … ラ行四段活用の動詞「入る」の連用形
・ て … 接続助詞

高き山の峰の、下り来べくもあらぬに、置きて逃げて来ぬ。
高い山の峰で、下りてくることができそうもない所に、置いて逃げてきた。
・ 高き … ク活用の形容詞「高し」の連体形
・ 山 … 名詞
・ の … 格助詞
・ 峰 … 名詞
・ の … 格助詞
・ 下り来 … カ行変格活用の動詞「下り来」の終止形
・ べく … 可能の助動詞「べし」の連用形
・ も … 係助詞
・ あら … ラ行変格活用の補助動詞「あり」の未然形
・ ぬ … 打消の助動詞「ず」の連体形
・ に … 格助詞
・ 置き … カ行四段活用の動詞「置く」の連用形
・ て … 接続助詞
・ 逃げ … ガ行下二段活用の動詞「逃ぐ」の連用形
・ て … 接続助詞
・ 来 … カ行変格活用の動詞「来」の連用形
・ ぬ … 完了の助動詞「ぬ」の終止形

「やや。」と言へど、いらへもせで、
「これこれ。」と言うけれど、返事もしないで、
・ やや … 感動詞
・ と … 格助詞
・ 言へ … ハ行四段活用の動詞「言ふ」の已然形
・ ど … 接続助詞
・ いらへ … 名詞
・ も … 係助詞
・ せ … サ行変格活用の動詞「す」の未然形
・ で … 接続助詞

逃げて家に来て思ひをるに、言ひ腹立てける折は、
逃げて家に帰ってきて考えていると、妻が告げ口をして腹を立てさせた時は、
・ 逃げ … ガ行下二段活用の動詞「逃ぐ」の連用形
・ て … 接続助詞
・ 家 … 名詞
・ に … 格助詞
・ 来 … カ行変格活用の動詞「来」の連用形
・ て … 接続助詞
・ 思ひ … ハ行四段活用の動詞「思ふ」の連用形
・ をる … ラ行変格活用の補助動詞「をり」の連体形
・ に … 接続助詞
・ 言ひ腹立て … タ行下二段活用の動詞「言ひ腹立つ」の連用形
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形
・ 折 … 名詞
・ は … 係助詞

腹立ちてかくしつれど、
腹が立ってこのようにしてしまったが、
・ 腹立ち … タ行四段活用の動詞「腹立つ」の連用形
・ て … 接続助詞
・ かく … 副詞
・ し … サ行変格活用の動詞「す」の連用形
・ つれ … 完了の助動詞「つ」の已然形
・ ど … 接続助詞

年ごろ親のごと養ひつつ相添ひにければ、いと悲しくおぼえけり。
長年親のように養い続けていっしょに暮らしていたので、たいそう悲しく思われた。
・ 年ごろ … 名詞
・ 親 … 名詞
・ の … 格助詞
・ ごと … 比況の助動詞「ごとし」の語幹
・ 養ひ … ハ行四段活用の動詞「養ふ」の連用形
・ つつ … 接続助詞
・ あひ添ひ … ハ行四段活用の動詞「あひ添ふ」の連用形
・ に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
・ けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ ば … 接続助詞
・ いと … 副詞
・ 悲しく … シク活用の形容詞「悲し」の連用形
・ おぼえ … ヤ行下二段活用の動詞「おぼゆ」の連用形
・ けり … 過去の助動詞「けり」の終止形

この山の上より、月もいと限りなく明かく出でたるをながめて、
この山の上から、月もたいそうこの上なく明るく出ているのを物思いに沈みながらぼんやり眺めて、
・ こ … 代名詞
・ の … 格助詞
・ 山 … 名詞
・ の … 格助詞
・ 上 … 名詞
・ より … 格助詞
・ 月 … 名詞
・ も … 係助詞
・ いと … 副詞
・ 限りなく … ク活用の形容詞「限りなし」の連用形
・ 明かく … ク活用の形容詞「明かし」の連用形
・ て … 接続助詞
・ 出で … ダ行下二段活用の動詞「出づ」の連用形
・ たる … 存続の助動詞「たり」の連体形
・ を … 格助詞
・ ながめ … マ行下二段活用の動詞「ながむ」の連用形
・ て … 接続助詞

夜一夜、寝も寝られず、悲しうおぼえければ、かく詠みたりける、
一晩中、寝ることもできず、悲しく思われたので、このように詠んだ、
・ 夜 … 名詞
・ 一夜 … 名詞
・ 寝 … 名詞
・ も … 係助詞
・ 寝 … ナ行下二段活用の動詞「寝」の未然形
・ られ … 可能の助動詞「らる」の未然形
・ ず … 打消の助動詞「ず」の連用形
・ 悲しう … シク活用の形容詞「悲し」の連用形(音便)
・ おぼえ … ヤ行下二段活用の動詞「おぼゆ」の連用形
・ けれ … 過去の助動詞「けり」の已然形
・ ば … 接続助詞
・ かく … 副詞
・ 詠み … マ行四段活用の動詞「詠む」の連用形
・ たり … 完了の助動詞「たり」の連用形
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形

  わが心慰めかねつ
  私の心をどうしても慰めることができない。
  ・ わ … 代名詞
  ・ が … 格助詞
  ・ 心 … 名詞
  ・ 慰めかね … ナ行下二段活用の動詞「慰めかぬ」の連用形
  ・ つ … 完了の助動詞「つ」の終止形

  更級や姨捨山に照る月を見て
  更級のおばを捨てた山に照る月を見ていると。
  ・ 更級 … 名詞
  ・ や … 間投助詞
  ・ 姨捨山 … 名詞
  ・ に … 格助詞
  ・ 照る … ラ行四段活用の動詞「照る」の連体形
  ・ 月 … 名詞
  ・ を … 格助詞
  ・ 見 … マ行上一段活用の動詞「見る」の連用形
  ・ て … 接続助詞

と詠みてなむ、また行きて迎へ持て来にける。
と詠んで、また行って迎えて連れて帰った。
・ と … 格助詞
・ 詠み … マ行四段活用の動詞「詠む」の連用形
・ て … 接続助詞
・ なむ … 係助詞・強調
・ また … 副詞
・ 行き … カ行四段活用の動詞「行く」の連用形
・ て … 接続助詞
・ 迎へ … ハ行下二段活用の動詞「迎ふ」の連用形
・ 持て来 … カ行変格活用の動詞「持て来」の連用形
・ に … 完了の助動詞「ぬ」の連用形
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形(結び)

それより後なむ、姨捨山といひける。
それから後、姨捨山と言ったのである。
・ それ … 代名詞
・ より … 格助詞
・ のち … 名詞
・ なむ … 係助詞・強調
・ 姨捨山 … 名詞
・ と … 格助詞
・ いひ … ハ行四段活用の動詞「いふ」の連用形
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形(結び)

慰め難しとは、これがよしになむありける。
慰め難いという時、姨捨山を引き合いに出すのは、このようないわれによるのであった。
・ 慰めがたし … ク活用の形容詞「慰めがたし」の終止形
・ と … 格助詞
・ は … 係助詞
・ これ … 代名詞
・ が … 格助詞
・ よし … 名詞
・ に … 断定の助動詞「ぬ」の連用形
・ なむ … 係助詞・強調
・ あり … ラ行変格活用の補助動詞「あり」の連用形
・ ける … 過去の助動詞「けり」の連体形(結び)

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